2015年9月28日月曜日

授かりもの

昨日、夕暮れ時にふと空を見上げたら月がものすごく美しくて息をのむような透明感で思わず見とれてしまった。

最近すっかり朝練を引退してしまった私はムーンデーを把握していなかったので、満月なのね!と思ったけど満月前夜の中秋の名月でした。

中秋の名月は旧暦のお盆の夜のお月様のことで、満月とは限らないのと今年のように満月と続くのは珍しいんだそうです。しかも今日の満月は2015年で一番月が大きく見えるスーパームーンだそうで、これまた特別感満載ですね!


で、どうして朝練をすっかり引退中なのかというと、思いがけず赤ちゃんを授かりました。

他のすべての親たちが願ってきたように、無事で育ってくれることをただ祈るばかりです。

先日病院で初めて心拍を確認して、クリオネみたいに小さい胎児のトクトク心臓が動いているのをみて、安心と感動で涙がでました。

ただ無事であるということがどんなにありがたいことか。

人生の怒涛の急展開のなかで、マットの上にはしばらく立てなくなってしまったけど、
今になってなんというか何のためにヨガだの坐禅だのをやってたのかが少し分かる気がして

私にとっては、それはただ一つシンプルに、

「どんなときでも、今目の前にあるものをめいっぱい大切に味わうこと」

ひたすらにその練習をする必要があったような気がします、私の場合。

こう見られたいとか、ああなりたいとか、ああであるべきとか、なんだとか、ぶち捨てるべき余計なものを沢山抱えて生きてきたから。


こだわらず、とらわれず、どんなときも、授かったいのちを精一杯全うしようと

新たに別の生命を授かったいま、つわりでいっぱいいっぱいながら思います。

そして、私のお腹の子も含めて、それぞれの持ち場で一生懸命生きているすべての人達の前途が優しいものでありますように。











2015年9月15日火曜日

泣いても笑っても

怒涛の変化と人生の急展開の中で、ひしひしと感じるのは今の経験は今しか出来ないということ。

嫌でたまらなかったことや辛くてたまらなかった時期も、終わりが見えたら愛しく感じる。

いま愛しくてたまらない優しい人達と過ごす優しい時間も、いつかはお別れがくる。

いいことも悪いことも全ては一瞬一瞬移り変わっていて、変化が現実に目にみえて現れるときにはびっくりするほど一瞬で世界が様変わりする。

泣いても笑ってもどちらでもいいけど、いつ終わりがきても悔いがないように、とにかく今与えられているすべてをそのまま全身全霊で大切にしたい。そう切に思う日々です。



2015年9月7日月曜日

週末は

乗鞍岳という山に行ってきました。


標高3000m級ということで超ガチ登山と見せかけて、2600m位のところまで乗り合いバスで行けるので標高差300m、片道一時間半程度のお手軽登山。

小さい子供とか高齢者もたくさんいました。


アシュタンギ的にはへっちゃら、フルプライマリー+セカンド途中までの練習のがよっぽどキツイ。

が、それでもこんな感じの道を登ってくのはそれなりに息が上がって

アーサナの練習のように自分の呼吸を感じながら一歩一歩味わって登りました。


山頂近くまでくるともうものすごく空が綺麗で天国ですかというレベル。


世界はなんて美しいのかと。感動にことばを失う。

独りで淡々と暮らしながら自分の内側を見つめ倒す毎日もそれは豊かで贅沢だったのだけど、

こうして人生を分かち合える相手がいる幸せに今は感謝する毎日です。

うふふ(´>ω∂`)

2015年9月1日火曜日

家族の縁

気がつけば、八月も終わり。

相変わらず結婚準備を怒涛の勢いで進めていて忙しく過ごしております。

日曜日は満月でしたが、ちょうど私は伴侶のご実家にご挨拶へ伺っていて、大きな流れのなかの一つのピークを迎えた感があります。

婚約から1ヶ月あまり、私と伴侶の二人にとっての一つの結実であると同時に、もっと大きなスケールで、たとえば私の人生で今までばらばらだった点が一つに収束するような、たとえばお互いの家族とかご先祖様とかが時空を超えて織り成してきたタペストリーが繋がったような、なんともいえない不思議な結実を感じます。

結婚しようと決意して伴侶を求めたのは自分自身だったけれど、すべてがすごい勢いで決まっていくなかで、自分の意思よりもはるかに大きな力が働いているのを感じずにいられなかった。

ちょうどお盆の時期だったからか、結婚というのはやっぱり家系マターだからか、この結婚を背後で強烈に後押ししたのは家族や血縁の意識というか意思だったように思えてならない。

家族というのは社会の最小単位なので、その関係性における人のお役目というのはすんごい重要ごとなんだと思います。

親やそのまた親の世代から与えられてきた愛は何倍にもして次の世代へ。 
そして遠い過去から受け継がれてきた痛みはここで終わらせたい。

今度は私が皆を守る番だと。そんな風に思います。