祝日マイソールをまったりと満喫。
汗だくになって解毒しまくり感を堪能できる季節がやってきましたね!
練習後、朝練仲間とサクッとブランチ。
のつもりが、ランチビール片手にがっつり語りモードになってまたしても夕方までヨギックガールズトークに花を咲かせてきたよ。
話があちこちに飛び、
私が最近お勉強をはじめた算命学について、なぜ興味をもったのか、という話も。
話しながら色々考えた。
陰陽説の基本的な考えは宇宙に存在するすべては「陰」と「陽」の二つの要素から成り、そのバランスにより一つの事象や世界(極)が成り立っている、という一極二元論です。
男性性と女性性、肉体と魂、昼と夜、天と地、太陽と月etc...
優劣や上下はなくて、表裏一体のセットなわけです。
光がよくて闇がだめとかじゃない。
光が強ければ強いほど、その影が濃くなる。
考えたら当たり前だけど。
すべてはバランス。
でも人はつい光だけを望んでしまうところがある。不自然なポジティブシンキング崇拝で逆に苦しむこともある。
そういう摂理を体系化された原理原則として学びたかったのです。
私にとってヨガは実践あるのみ、practice over theoryだけどこれは哲理として学びたかった。
個人的に、
劣等感の裏にある優越感
犠牲的精神の裏にある罪悪感
そういうものを統合して中庸に戻したい、という気持ちも動機の一つかもしれない。
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陰陽説の一極二元論について考えながら、ある印象的なことばを思い出した。
映画化もされたエリザベス・ギルバートのベストセラー、「食べて祈って恋をして」の中でバリの老治療師が天国と地獄について、以下の趣旨の話をします。
「天国も地獄も同じ。」
「違いは、上に向かうか下に向かうかだけ。上に向かえば、幸せな場所を通って天国へ。下に向かえば、哀しい場所を通って地獄へ。」
「行きつく場所は最後は同じ。だったら旅は幸せな方がいい。だからあなたは上に向かいなさい。」
「天国が愛の場所なら、地獄も愛の場所」
地獄へ向かって、悲しみを通じて愛を学ぶ道もある。
選ぶ道に善し悪しはなくて、いずれにしても、行きつく場所は同じ。
これが真理だなあと思います。



