2015年5月8日金曜日

ユージ先生

ふと、一昨年亡くなったスタジオヨギーのユージ先生を思い出した。

スタジオヨギーの、という形容詞は適切かどうか分からないけど、私はヨギーでのクラスでずっとお世話になっていたから。私にとってはヨギーのアシュタンガのクラスのユージ先生だ。

ユージ先生のアシュタンガのクラスに毎週出ていた。
ユージ先生は、ご自分のことをアシュタンガの孫請けだと言っていた。

正式な練習は、指導者の元でデイリーに行う朝練マイソールなのだと。
自分がヨギーで教えているのは正式なアシュタンガの練習ではないのだと。
でも、自分のクラスが、初心者の人がアシュタンガの練習を始めるきっかけになって欲しいと。橋渡しになりたいと。

私はユージ先生の願い通りに、彼のクラスを入口に、マイソールでの朝練をはじめてアシュタンガの練習生になった一人だった。
ユージ先生と出会っていなかったら私はアシュタンガを続けていなかったかもしれないし、朝練を始めることもなかったかもしれない。

いまのシャラで朝練を初めてから、すぐにのめり込んで、ヨギーからは遠ざかってしまった。

ユージ先生にはマイソール始めました!と報告しにいきたかった。

孫請けティーチャーとして、わたしをアシュタンガへと繋げてくれたことに御礼を言いたかった。
朝練をはじめてどんなに日常が変化したか、伝えたかった。
練習は礼拝なのだと先生が言っていたことが今は分かりますと、伝えたかった。

でも先延ばしにしてる間に、ユージ先生が突然病気の療養でお休みに入ったと風の便りできいた。その数ヶ月には訃報が届いた。復帰を信じていた。復帰したらすぐに会いに行って報告と御礼をするのだと楽しみにしていた。あんなに身心ともに健康でしなやかで純度の高い人が死を迎えようとしていたなんて思いもよらなかった。


私は魂は永遠だし、思いは時空を超えると信じています。なので、伝えたかった感謝の気持ちはちゃんと亡きユージ先生に届いていると信じているし、悔やむ必要はないと思っている。

それでもやっぱり身体をもって同じ時間と空間を共にすることはかけがえのない瞬間であって。そのなかで、目を見つめて感謝を伝える機会を逸したことを残念に思う。

私達はありったけの愛と優しさを持って目の前の人に接するべきだし、伝えたい思いがあったら、会いたい人がいたら、差し出したいものがあったら、やりたいことがあったら、何を待つ必要もない、すぐさま行動に移すべきだよなと。そんなことをふと思った。

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