妊婦は後屈が柔らかくなる、という説がある。後屈大好きな私はどんだけ気持ちいいいんだろうーうふふと楽しみにしていたのだけど、私に限っていえば全然そんなことない。
むしろ妊娠前の方が全然気持ち良かった。妊娠前はカポタや最後のバックベンドで足首つかむとき、どこまでも伸びていくような、自分が世界に溶け込んでしまうような、もはや恍惚的といっていいレベルでめくるめく快楽を味わっていたのだけど、今は明らかにその境地へはいけない。ドロップバック&カムアップもやりたかったらやってね、と先生に言われたのだけど、やる気になりません。自分の足が見える位置まで後屈できてるので、やればできると思うんだけど、やりたいと思えない。妊娠前の後屈のようにどこまでも開いていく気持ち良さを感じないから。
今朝も普通に3回ウルドヴァダヌラーサナをやりながらこの感覚の変化をみつめていた。
で、ふと思ったのだけど、私は自分でも後屈が極めて得意だと思うのだけど、それは恐らく「身も心もすべてを投げ出す」「”自分"を捨て去る、明け渡す」ことと大いに関係がある。
カポタの練習をはじめたときにその強烈な後屈で感じたのは「自分の身も心もぜんぶひっくり返して何もかも差し出します」的なひっくり返され感で、その「自分をぜんぶ明け渡す感覚」に私はまるで世界とひとつになるような強烈な恍惚感を感じていた。(やばい)
カポタの練習をはじめたときにその強烈な後屈で感じたのは「自分の身も心もぜんぶひっくり返して何もかも差し出します」的なひっくり返され感で、その「自分をぜんぶ明け渡す感覚」に私はまるで世界とひとつになるような強烈な恍惚感を感じていた。(やばい)
妊婦練ではその境地への厳然たる壁を感じる。お腹が大きくなったからとかそんな肉体的レベルではないもっと違う次元で、どこかでブレーキがかかっていることが自分ではっきりわかる。
でね、たぶんそれって、「差し出せない、明け渡せないものがある」ということなのだと思う。物理的なレベルでいえば、子供を無意識に庇ってるんでしょうね。
妊娠する前、結婚する前、孤独を愛して謳歌していた私は「自分」というものを全部捨て去って消えてしまえたら、偏在する空気になれたら、という無への回帰願望みたいなものがとても強かった。大好きなタゴールのギータンジャリの詩のように、私を「自分」に縛りつける枷をぜんぶ捨てたかった。強烈な後屈はフィジカルにそれを体験する機会で、なのでとても得意だったし快楽だったのだと思う。
いまは母の本能で子を宿している「自分」を全力で守ろうと防御的になっていて、妊娠前と同じ境地で自分をひっくり返すことはきっと出来ないんだと思う。自分から決して外すことのできない大切な枷が神の愛の他にもできてしまった。
どっちがいいとか悪いとかないけど。出産したらまた別の人間のようになるんだろうなあ。人間というのは本当に面白いなあと思います。
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