文章というのは言霊というか書いた人のエネルギーみたいのが宿っている。
で、自分のブログの過去の記事をふと読み返してみたら書いた当時の自分の状態がリアルに再生されて、うおーって思った。
例えばこの記事。
怒ってた怒ってた、超怒ってた。
インド人の上司と怒鳴りあいになってあげくI'm out!!!!などと言って一方的に電話会議を離脱したんだっけ。実にプロフェッショナルな態度である。笑
お互い情熱的だから仕方ないね、なんて言って後で和解したけど、いいオトナが仕事で怒鳴りあうのが情熱的なんだろうか。笑
しかもワタシは自分のブログで、まるで分かったような口を聞いているけど、その後何が起きたかというと、その言い合いの原因だった件はインド人上司が全面的に正しかったことが判明した。
ドギャーン。
私が誠実を貫くための戦いだ!などと息巻いて信じていた「正しい判断」は完全に私の思い込みで結果として正しくなかった。それを頑として譲らず、しかも自分ではニュートラルなつもりで居るというタチの悪い女。笑
無知は罪である。
まあ、速やかに謝って今では笑い話だけど。
思い込みを疑う、というのはすごい大切なことだと改めて思った。人は自分を中心に世界を見ているので、基本的に自分は正しいしモノを分かっていると思いがち。
他者を許す、とか受け入れる、という考えの根底にもそういう「自分は正しい」という思いがある。それはそれでもちろん大切なのだけど、「どれだけ自分は周りに許されて、受け入れられてきたのか」という気づきもとても大切。それが自分も他者に対してそうありたい、という思いに自然に繋がるんだと思う。
更に、自分を傷つけているのは往々にして「正しくありたい」と願う自分自身のひたむきさだったりする。
あなたは間違ってない、と繰り返し自分に言ってあげるべきだと思う。
一方で、自分は正しい、という思いは何度でも何度でも捨てた方がいい。
一方で、自分は正しい、という思いは何度でも何度でも捨てた方がいい。
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今日は5年目の311ですね。被災者の方々の痛みや悲しみが癒えること、被災地の復興を改めてお祈りします。そして、私達ひとりひとりが、許されて受け入れられて、生かされているのだということを忘れずにいられますように。合掌
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