私が近年知って衝撃を受けたものの一つ、アポトーシスについて。
あらゆる変態・変容は、予めプログラムされた細胞死によって、「消去すべき部分」を、然るべきタイミングで、積極的に消していくことで起こっている。
これって、すごい示唆的だと思いませんか???????!!!!!!!!
田辺先生は方丈記の一文「ゆく河の流れは絶えずして...」を引用し、こうも仰ています。
なんという優しくて美しいことばでしょうか!!
私はこの本を読んだ時、知人の死や癌の宣告で死について思うことが多々あったせいもあって、感動に打ち震えて不覚にも涙が止まらなかった。
アポトーシスは理系の方、又は生物をちゃんと勉強した方にとっては常識なのかな?壊死ではない積極的な細胞死のこと。
アポトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死 出典:wikipedia
要するに、外的要因により壊れて死ぬのではなくて、予めプログラムされた「死のプラグラム」を然るべき時に発動させ自らを消し去る、そんな細胞死のこと。
前者の場合は事故死みたいな感じで壊れちゃったー、ブシャー、とぐちゃぐちゃになるのに対してアポトーシスでは細胞はまるで身辺整理をして飛ぶ鳥後を濁さず的に失踪する人のように一定のプロセスを経て綺麗に自らを解体し消し去る。
どんな時にアポトーシスが役割を果たすのかというと、例えば生物の形成過程。
どんな時にアポトーシスが役割を果たすのかというと、例えば生物の形成過程。
私達には5本の指がありますが、それは5本の指がにょきにょきと生えてきたのではなくてどらえもんのような手をベースにそこから指と指の間の不要な部分を削り落とすことによって指の造形が作られている。蛹が蝶になったり、おたまじゃくしがカエルになったりするのも同じ。
あらゆる変態・変容は、予めプログラムされた細胞死によって、「消去すべき部分」を、然るべきタイミングで、積極的に消していくことで起こっている。
これって、すごい示唆的だと思いませんか???????!!!!!!!!
変容のプロセスというのは骨組みにペタペタ肉付けしていくように足していくことではなくて、不要な部分を消し去っていくことなんですね。
また形成の他にも、アポトーシスは異常を起こした細胞やがん化した細胞を消しさる、生命維持のための修復システムとしても機能しています。アポトーシスが正常に機能せず、死ぬべき細胞が死なないと個体にとってはまずいわけです。
細胞は個体を守るため、個体のより良い状態を保つために、受けとったシグナルから状況を総合的に判断し、然るべきときに死のプログラムを発動させて自らを消去する。
これまたすごい示唆に富んでいます!!
この本を読んで、わたしはヨーガスートラよりもバガヴァッドギータ―よりもクリシュナムルティよりもラマナマハルシよりも衝撃をうけました。
生命というのは本質的に利他的なのです。
すべての個体は全体を利するために振る舞うようになっている。
すべての個体は全体を利するために振る舞うようになっている。
そしてそれは感傷的な自己犠牲なんかが入る余地のない、厳然たる生命の戦略なわけです。
私達の祖先は、単細胞生物のように延々と分裂・増殖するのではなくて、雄と雌の交配により新たな遺伝子セットの個体を産み出すことで、無限の可能性の中で命を繋いでいく進化の道を選んだ。この壮大な命のリレーを可能にするためには、予めプログラムした死によって古い遺伝子や問題のある遺伝子を確実に消去していく必要があった。
すべての細胞に死が予めプログラムされている。まさに死は生に内包されている。
生命を連綿と繋いでいくためには、その中に絶え間ない死が必要なのですね。
以前「今、いのちがあなたを生きている ( Now, Life is living you.) 」という言葉が親鸞聖人の遠忌のテーマとして京都の東本願寺に掲げられてました。
まさしく我々はみんなで様々な役割を分担しながら一つの同じ生命を生きているんだと思います。そして個体としての「あなた」は役割を終えたら死ぬ、「いのち」の永続性のために。
私達に出来ること・すべきことは、それぞれの持ち場で自分の生を精一杯生き抜き、役割を終えたらすみやかに消え去る、ただそれだけ。
著者の田辺先生も本の中で書かれていますが、死を科学的に理解することは哲学的にもより本質的な死生観をもつ手助けになるのだと思います。
田辺先生は方丈記の一文「ゆく河の流れは絶えずして...」を引用し、こうも仰ています。
... 再生系の細胞はアポトーシスによって個体の循環に還り、個体は「二重の細胞死」によって自然に還り、わずか100年後には、いま自分の周りにいる人たちのほとんどが消え去ってしまうのです。
このはかなさを超えるには、目に映る自然の美しさと、目には見えないその奥にある自然の大循環―‐二度と同じものを繰り返さない永遠性のなかから、新しい生命がつくられていくことの素晴らしさを感じ取るしかないのかもしれません。
なんという優しくて美しいことばでしょうか!!
私はこの本を読んだ時、知人の死や癌の宣告で死について思うことが多々あったせいもあって、感動に打ち震えて不覚にも涙が止まらなかった。
素晴らしい本なので是非読んでみてください。
ド文系の私でも分かりやすかったです。
私はちなみにこういう科学と哲学が出会う感じがすごく好きです。というか出会うも何も本来は科学と哲学は相反するものではなく同根なのだと思ってます。
科学医学技術関連出版社最大手のエルゼビア社のロゴには NON SOLUSと書かれていて、これはギリシャ語で not aloneという意味なのです。素敵ですね!哲学的です。万物同根を示唆してる感じですね。
そしてかの有名なネイチャー誌も150年前の創刊号では詩人ワーズワースの自然賛歌の詩をのせています。 http://www.nature.com/nature/about/first/
ド文系の私でも分かりやすかったです。
私はちなみにこういう科学と哲学が出会う感じがすごく好きです。というか出会うも何も本来は科学と哲学は相反するものではなく同根なのだと思ってます。
科学医学技術関連出版社最大手のエルゼビア社のロゴには NON SOLUSと書かれていて、これはギリシャ語で not aloneという意味なのです。素敵ですね!哲学的です。万物同根を示唆してる感じですね。
そしてかの有名なネイチャー誌も150年前の創刊号では詩人ワーズワースの自然賛歌の詩をのせています。 http://www.nature.com/nature/about/first/
"To the solid ground Of Nature
trusts the mind which builds for aye."─WORDSWORTH.
永遠(とわ)につづく真の詩は自然を礎(いしずえ)にしなくてはならぬ─ワーズワース
素敵ですねえええ
素晴らしき科学者は総じて素晴らしき哲学者なのだと思ってます。

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