引き続き神戸滞在中ですなう。
昨日、今日とお休みだったので神戸市街を離れ、舞子に2泊してみました。
滞在したのは舞子ビラというホテルで、明石海峡大橋を一望できる素晴らしいホテル。なんと海が見えない部屋は一泊6000円以下で泊まれて、ビジネスホテルよりも安い!よい気晴らしになりました。
で、昨日は高速バスで淡路島へ行ってみました。淡路島を縦断してそのまま四国へも行けます。
徳島でお世話になった遍路宿に行きたい衝動を抑え、淡路島の真ん中辺にある伊弉諾神宮(イザナギ神宮)を目指すことに。
舞子から高速バスで津名一宮インターまで30分くらい。車窓からの眺めも綺麗。
津名一宮インターから路線バスに乗りかえて、神宮前のバス停で降りて…という事前計画も空しく、路線バスは全然本数がなくて次が2時間後でした。oh...
淡路島は電車がないということだったので路線バスが充実してるのかと勝手に思ってました。車社会なのね。
気を取り直して田園風景のなか伊奘諾神宮を目指してくてく歩くことに。お天気も素晴らしかったのでむしろ楽しく散歩できました。
緑に花に鳥に川に畑。ジブリのかぐや姫の歌、鳥虫獣草木花ー♩が頭の中でリフレイン。
寄り道しながら40分後くらいに伊奘諾神宮到着。
伊弉諾神宮は日本神話でイザナギとイザナミが国産みの後に隠居?した場所と言われているのだとか。
そういえば、日本神話の中でイザナギ・イザナミが日本国土を創出したときに最初に産まれたのが淡路島というお話でしたね!
話がそれますが、スサノオが亡き母イザナミを慕い黄泉の国にいる母の元へ行きたい、と咽び泣いて仕事を放棄したという話があります。昔聞いたときは何じゃそりゃと思いましたが今はなんだかグッときます。
僕(あ)は妣(はは)の 国に往かむと欲ひて哭く
無に還って母なる根源に戻りたい、私達にはそんな感じの深い回帰の欲求というか死への憧憬のようなものがある気がします。
スサノオはただのヘタレマザコンかと昔は思いましたが、そうではなくて彼の慟哭は私達のこうした深い回帰願望を表しているのではないでしょうか。
死んだら終わりの唯物的な考え方ではなくて、死は根源に還るもの、というのが日本人本来の死生観なのだと思います。
「ほとんどの人は、生きているだけで十分な悲しみを経験する。親や家族との死別によって。」そんな感じのことをどこかで誰かが書いていて(ソース忘れましたごめんなさい)確かに、と思ったことがあります。
どんなに幸せにみえる人でも、すべての人には死別という深い悲しみの機会が等しく与えられている。当たり前のことなんだけど、私は何だかはっとしました。
亡き母を求めて泣き続けたスサノオに「いや男の人は仕事放棄しちゃだめでしょ」などと引いてしまったかつての私には、死別の悲しみに対する想像力がなかったなあと。
「ほとんどの人は、生きているだけで十分な悲しみを経験する。親や家族との死別によって。」そんな感じのことをどこかで誰かが書いていて(ソース忘れましたごめんなさい)確かに、と思ったことがあります。
どんなに幸せにみえる人でも、すべての人には死別という深い悲しみの機会が等しく与えられている。当たり前のことなんだけど、私は何だかはっとしました。
亡き母を求めて泣き続けたスサノオに「いや男の人は仕事放棄しちゃだめでしょ」などと引いてしまったかつての私には、死別の悲しみに対する想像力がなかったなあと。
伊奘諾神宮で日本のシヴァとパールヴァティ、イザナギ・イザナミ両神に参拝しながらそんなことを思いました。
夫婦楠。良縁祈願。
淡路島はまた機会があったら行ってみたいな。
今朝から神戸市街のビジネスホテルへ戻り、今日は湊川神社へいきました。ここも素晴らしく立派な神社でございました。
おしまい。







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