プライマリーのアーサナ群はほぼ完成形で出来るようになってるけど、依然として全然ダメなのがある。
名付けて「身も心も自分の内側に引きこもるのポーズ」スプタクルマーサナ。
自分じゃ手がとれないどころか、足組めないどころか、アジャストされても足先もつかないレベル。
人並み外れて手足が短いので(ダンダーサナで指先しかつかない)体型的に無理があるということにして開き直ってた。
が、よく考えたらその他の「私の手の長さじゃ絶対無理!」と思ったアーサナ、マリーチCDやパシャーサナは出来てるではないか!手首を掴んでるし我ながらかなり深く入れてると思う。
これは体型的に難しいと思ったからこそ、それをカバーするためにより深く胸と胸の後ろ側を開くように意識的に練習してきた結果で、しかもそれは副産物的に後屈強化に繋がった。
人は骨格も性質も能力も何もかも皆違う。アレが出来る人はコレができなかったり、柔らかい人は痛めやすかったり、力があってもそれが硬さになっていたり。面白いですね。ドラクエとかのステータスみたい。
自分じゃ手がとれないどころか、足組めないどころか、アジャストされても足先もつかないレベル。
人並み外れて手足が短いので(ダンダーサナで指先しかつかない)体型的に無理があるということにして開き直ってた。
が、よく考えたらその他の「私の手の長さじゃ絶対無理!」と思ったアーサナ、マリーチCDやパシャーサナは出来てるではないか!手首を掴んでるし我ながらかなり深く入れてると思う。
これは体型的に難しいと思ったからこそ、それをカバーするためにより深く胸と胸の後ろ側を開くように意識的に練習してきた結果で、しかもそれは副産物的に後屈強化に繋がった。
人は骨格も性質も能力も何もかも皆違う。アレが出来る人はコレができなかったり、柔らかい人は痛めやすかったり、力があってもそれが硬さになっていたり。面白いですね。ドラクエとかのステータスみたい。
自分を知った上で弱点をどう克服するか。弱みは強みに転換しうる。
ということで、スプタだけいつまでも手の短さを理由に「どーせ出来ないからどうでもいい」という態度をとるのは改めようかと。手足の短さをカバーしうる何か、まだ未発達or未解放ののびしろ部分はどこかしら、と考えてみた。
スプタは股関節と臀部とハムストリングスがあやしいですね。股関節と臀部はバッダコナーサナをこよなく愛する私はかなり柔らかいつもり。なのでそんなに伸びしろなさそう。
スプタは股関節と臀部とハムストリングスがあやしいですね。股関節と臀部はバッダコナーサナをこよなく愛する私はかなり柔らかいつもり。なのでそんなに伸びしろなさそう。
従って、ハムストリングスが攻略ポイントくさい。
そういえば前に先生とスプタの話をしてたときに「ゆみちゃんは前屈が苦手でしょ」と言われたっけ。
そういえば前屈苦手だった。朝練生活で大分柔らかくなったけど、以前はパスチモッターナーサナで二つ折りになるなんて考えられないくらい元々前屈苦手なんだった。
で、話がいきなりぶっとびますが、最近自分の高慢ちきぶりが目について、どうして私は黙ってても高圧的なエラそうな感じになってしまうんだろうと考えることがあった。
何だかこれは前屈と関係ありそう。
前に頸椎症を軽く患って、その改善の為に練習中も日常生活でも頸椎後屈を控えて顎を常に引き気味にして過ごしてた時期があった。そのときに、随分とつつましい気持ちになったことを思い出した。
顎を引くだけでこんなに心の状態が変わるのか!と驚いた。つまり、どんだけ普段の姿勢が顎を上げたエラそうなものなのか、というのも自覚して愕然とした。
前に頸椎症を軽く患って、その改善の為に練習中も日常生活でも頸椎後屈を控えて顎を常に引き気味にして過ごしてた時期があった。そのときに、随分とつつましい気持ちになったことを思い出した。
顎を引くだけでこんなに心の状態が変わるのか!と驚いた。つまり、どんだけ普段の姿勢が顎を上げたエラそうなものなのか、というのも自覚して愕然とした。
人の優位に立ってるような意識がどこかにあって、それが無意識に姿勢に現れてるとしか考えられない。きゃーやだやだ。そりゃ態度でかいとか言われるよ。
思えば、私は高慢ちきな部分がある一方で献身・奉仕への強い衝動があって、あらゆる行動の強い動機になってる。この相反を不思議に思ったりしてた。
多分、本質的に傲慢で自分本位な要素が強いから、それを補うというかバランスを取るために自分を捧げる対象が必要なのではないかしら。
無意識に陰陽のバランスを取ってるかんじ?
そんなわけで
高慢なエゴがゆるやかに解放されるにつれ、前屈がより深まるかもしれない。and vice versa.
後屈が怖れの克服なら、前屈はエゴの解放。
つくづく思う。私達が汗だくになってマットの上で身体を通して取り組んでるのは、生き方そのものなのだと。
ちなみに、この手の洞察の大家グレゴール・メーレ先生の「実践と探求」を見てみたら、スプタのところで脚を頭に持ってくるポーズ群の重要性に言及していわく
"謙遜の気持ちが増し高慢な気持ちが減少する"
やっぱりねー。今の自分の高慢なエゴを認めて解放していかないと、脚を頭にかけるシリーズは厳しいだろうな。
と、スプタ考から前屈とエゴの考察に発展したんでありました。

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