2015年1月24日土曜日

過去も未来も今ここに

時間は過去から未来に向かって流れていく、という概念は便宜上作られたもので、本当は過去も未来も現在も全ては同時に存在しているものだと思う。

いまという瞬間にすべてが内包されている、ということ。

あまりにも色鮮やかで、過去に過ぎ去ったものだなんて思えない、そういう瞬間が無数にあってそれはすべていまこの瞬間の中で同時に起きている。

これは精神世界に興味を持つ前から感じてきたことで、ヨガや禅のあれこれを経験したり文献に親しんだり、同じような洞察を見聞きするにつれて確信を深めるようになった。


きっかけのエピソード。

20台前半のまだ何だかわけもわからず生きていた頃に、悲しくて苦しくてこんなことはとても信じられないし受け止められない、と絶望した経験があった。それは今思い出しても当時の自分を哀れに思うし我ながらよく乗り越えたなあと思う出来事だったけど、大きな分岐点だった。

打ちひしがれてどうしていいか分からずに一心に自分に問いかけ続けて、そのなかではたと「すべては繋がっている」とか「自分は自分では知り得ないほど大きな何かの一部で、失くすものは何もない」とかいった感覚に気がついた。

いま思えば、あれは他にどうすることも出来ないほど追い詰められてはじめて自分の内側を真っ向から見つめ続けた、たぶん今世ではじめての瞑想で祈りだったな。

で、そのときに、慈愛に満ちた眼差しというか「大丈夫」という意識に見守られているのを感じた。

ああ、これが神様かと思ったのを覚えてる。自分がいま感じていることすべてを完全に共有してくれて、理解してくれてその上で「大丈夫」と言ってくれる存在が間違いなくいる。自分は独りじゃない、そんな気がして救われる思いがした。


その後何年も経ってから、そのときの自分に思いを馳せてみたことがあった。

すると奇妙な感覚に捕らわれた。

自分はこの意識を知っている、この眼差しを覚えてる、みたいな感じ。あっ、あのとき自分を見守っていたのはこれだ、と瞬時に理解した。理屈じゃない確信があった。なんだ、神様とかだと思ってたけど私だったのか、と思った。

以来、過去の辛かった瞬間には積極的に思いを馳せるようになった。全力で哀れんで、「でも大丈夫!!」と全力で応援する。笑

何事も遅過ぎることはなくて、今からでも過去は癒せるはずだから。意識を向ければ、それはきっと届く。同じように、いま心を澄ませば、どこからか時空を超えて向けられている自分を慈しむ目線にきっと出会える。


「過ぎ去った過去」も、「まだ見ぬ未来」も、すべては今この瞬間に同時に存在している。その上で、人は自分が見たいように見たいものを見ている。

どこに視点をおいて何に意識を向けるのか、それだけのこと。

そんな風に思ってます。


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