2015年2月1日日曜日

歴史の終わり

フランシス・フクヤマという人が90年代初頭に「歴史の終わり」という本を書いていて、その仮説は大きな議論を起こしたらしいのだけどすごいざっくり言うと

これまでの人類の歴史のなかで、共産主義やら帝国主義やら様々な社会体制があったけれども、人間性に反するものや生産的でないものは自然に淘汰されて最終的には最も優れた持続可能なもの---自由経済と民主主義に行き着く。そして、あーでもないこーでもないと闘争や革命を繰り返してきた人類の歴史のドラマは終焉を迎える。

みたいな感じ。

2015年現在。

いまだに戦争は起きていて、人が人を殺してる。歴史、全然終わってない。とても悲しい。


イスラム国に囚われていた後藤健二さんが殺害されるというショッキングなニュースがあった今日の今日、前から予定していたのでモーゼの出エジプトを描いたハリウッド映画エクソダスを見てきた。

中東問題はあまりに根深く複雑だし、史実がどうという問題はさておき考えさせられたのは、理由はどうあれ我々人類が数千年前から侵略と搾取、迫害と殺戮の所業を働いてきた、ということ。今の倫理観では到底あり得ないレベルの残虐さと野蛮さで。

数年前、あるとき父がフランシスフクヤマの「歴史の終わり」に言及して、人間性の勝利としての歴史の終わりどころか人は果たして進歩してきたのだろうか、と呟いたことがあった。

私はそのとき反論したけど、分からなくなってきてしまった。

私達人類は過去の痛みからきちんと学ぶべきことを学んできたのか。

長い歴史のなかで散々やらかしてきてお互いに恐怖や痛みや悲しみを経験してきてその後に及んでまだ憎み合ったり傷つけ合ったりしてる。


亡くなった後藤健二さんの過去のツイートが話題になっているけれど、こうしたメッセージが世界に広がることにせめてもの希望に思います。

「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」

同時に、すごく悲しい。こうしたあまりに悲痛な犠牲、もちろん後藤さんだけじゃなくて無数の命の犠牲が、全体の学びのために払われていることにやり切れない悲しみを感じます。

恐怖で人を支配することは出来ないし、報復から得るものなんて何もない。

私達人類が真にそれを学ぶことが、過去長い歴史に渡って犠牲になった人びとの鎮魂になるのだと思う。

世界が平和になりますように。

合掌

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