2014年8月15日金曜日

終戦記念日と祈り

去年は学会出張で全国色々な場所へ行った。終戦記念日の今日、広島へ行った時のことを思い出した。

仕事が終わってから、ひとり平和記念公園を散歩した。街中なのに公園のなかは不思議なくらい静かで、明らかに空気が違う。


沢山のひとが非業の死をとげた場所。原爆ドームで写真をとると、写るなんて話もある。


でも、感じたのは悲劇の地の悲惨さや無念さではなくて、聖地のような圧倒的な静謐さと清らかさだった。
不謹慎かもしれないけど、癒されるような気すらして暗くなるまで座ってた。

世界中の数え切れない人達が祈りを捧げてきた、思いを馳せてきた場所だからだと思った。
平和を誓う強い決意とか、無私の祈りとか。痛みや悲しみへ寄り添う心とか。そういうもので満ちている気がした。

祈りは決して無力ではない、むしろ集合・集中した祈りや思いの力の強さを感じた。

みんなが穏やかさと共にありますように  
自由でありますように





「祈りは無力だと思えるかもしれません。しかし祈りが無力なのではありません。祈ることを忘れた心が無力なのです。祈るだけでは何も解決しないと思えるかもしれません。そうではなくて祈りを欠いた行動が何の解決ももたらせないのです。」『祈る力』対本宗訓





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