もともと腰が柔らかいせいで、ドロップバック&カムアップでは腰の痛みに苦しんだ。ぐにゃりと曲がってしまうだけに、腰の一点に負荷をかけて痛めてしまうのだ。
バックベンドは腰を曲げるのではない。胸を開いて足や腹筋や大腰筋や背筋を総動員して、柔らかい腰を守りながら体を開く。
それが出来るようになるまでは毎日腰が痛くて辛かった。特にカムアップは一度でも立てない日をつくると二度と立てなくなる気がして怖くて、無理な練習を重ねていた。
焦りや怖れで余分な力が入り体が硬くなり、腰に負担がかかり、痛みがまた怖れを上塗りする。
怖れや痛みが根っこにある練習は、こうして更なる怖れと痛みの印象を生み出し強化して負のスパイラルに陥る。経験に伴う印象が、体や心に刷り込まれていく。サムスカーラの罠。
執着していた。柔らかさで形だけ出来てしまうだけに、得意になっていた。いい気になっていたから、できなくなることが怖かった。
ヨガの練習で体を痛めて、怖れのサムスカーラを積み重ねるなんて本末転倒も甚だしい。
アップドックさえも辛くてたまらくなって、ついにそれを認めた。ウルドヴァ・ダヌラーサナが気持ち良くできるようになるまで、と決めて立つ練習は潔く辞めた。二度と立てなくても別にいいんだと思ったら随分気が楽になった。(それだけ思い詰めてた)
そんな時にちょうど読んだのがオイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」。ドイツ人の哲学者である著者が弓の師範の元で禅の真髄を学ぶ話なのだけれど、これがもうまんまヨガなのです。
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その時師範は声を大にして言い放った。
「正しい弓の道には目的も、意図もありませんぞ! あなたがあくまで執拗に、確実に的にあてるために矢の放れを習得しようと努力すれば努力するほど、ますます放れに成功せず、いよいよ中りも遠のくでしょう。あなたがあまりにも意図的な意思を持っていることが、あなたの邪魔になっているのです。
あなたは、意思の行わないものは何も起こらないと考えていられるのですね。」
中略
「....我々弓の師範は申します。射手は弓の上端で天を突き刺し、下端には絹糸で縛った大地を吊るしていると。もし強い衝撃で射放すなら、この糸がちぎれる虞れがあります。意図をもつもの、無理をするものには、その時天地の間隙が決定的になり、その人は天と地の間の救われない中間に取り残されるのです。」
(これって完全にドロップバック&カムアップのことではないか????!! 天に開きつながり、地に足を突き刺し、天から大地を吊るす絹糸となる。意図を持つもの、無理をするものは天地から切り離され救われない中間に取り残される。この表現。天地の間に取り残され途方に暮れる感じ。天にも胸を開けない、地にも足をねじ込めない。バックベンドに苦しんだことのある人なら共感するのではないかしら??)
「では私は何をすればよいのでしょう」私は思案しながら尋ねた。
「あなたは正しく待つことを習得せねばなりません。」
「しかしどのようにしてそれが習得されるのでしょうか。」
「意図なく引き絞った状態の外は、もはや何も残らないほど、あなた自身から離脱して、決定的にあなた自身とあなたのもの一切を捨て去ることによってです。」
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Backbending けむし。
その後、腰を痛めずにバックベンドが出来るようになって安定してきてからも、一喜一憂したくなるエゴを日々戒める。形だけ出来たって仕方ないのだ。天と地の間に取り残されては。
ちなみに、「弓と禅」はアシュタンガ練習生には心に刺さる珠玉のことばがこの他にも沢山あるので、強くお勧めしたい本です。
天邪鬼な私は「スティーブ・ジョブズ愛読書!」という帯が気に入らなくて購入を数年間見合わせてたけど、素晴らしい名著でございました。
さすがスティーブ・ジョブズ愛読書。

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