吹奏楽団に入っている従姉妹の演奏会に行ってきた。
私は音楽のことはあまり分からないけど、ライブや演奏会って大好き。
皆とてもいい顔をしていて、そこに今までの「積み重ね」をみて胸を打たれる。きっと彼らが重ねてきたであろう、気の遠くなるような練習や努力の積み重ねを思う。
アシュタンガの練習を日課にするようになってから、とくにそういうことを繊細に感じやすくなってきた。(単に年を重ねると涙もろくなるだけかも)
よく、ヨガはパフォーマンスじゃない、スポーツと違って向上を目指したり競うものじゃない、と言う。
執着や自我の増長を戒めるためにあえてそう言うのよね、きっと。
でも、アスリートも音楽家も、ひたすら重ねるプラクティスは立派な「行」だし精神鍛錬だよね。
無心の瞑想状態にもなるときもあるだろうし、執着に囚われて苦しむときもあるかもしれない。
悩むときも迷うときも、きっとある。
それでも続けられるのはそれが「好きでたまらない」からだろうし、それって自我のなせるワザじゃない?
それでも、それが自我と執着に根ざしたパフォーマンスであれ、彼らの晴れ舞台での輝く笑顔は本当に美しいと思う。私は手が痛くなるほど拍手せずにはいられない。
自我も捨てたもんじゃないねと思ったりする。
スポーツだろうとパフォーマンスだろうとヨガだろうと坐禅だろうと、本質は同じなんじゃないかしら。
そうそう、もう一つ思ったこと。
マットの上の練習はまるで人生の縮図だけど、オーケストラや吹奏楽の演奏もまた違った観点で人生の縮図。
みんながそれぞれ自分のパートを演じて、ひとつの壮大な曲を作り上げる。
フルートよりクラリネットが優るとか劣るとかない。
様々な違う楽器が調和してこそ美しい音楽になる。
我々個々人がやることは、自分の持ち場で自分のパートを一生懸命演じるのみ。
と考えると。我々ヨギは偉そうに「ヨガはパフォーマンスじゃない」と言ったりするけれど、人生はやっぱりパフォーマンスなのかもね。
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