2015年12月24日木曜日

妊婦練 20w1d, 20w6d

12/18 妊婦練@宅練。
太陽礼拝、スタンディング、3つのパドマのみ。筋肉痛を依然引きずっていたので引き続きチャトランガはエイトポイントにモディファイド

12/23 シャラへ。
太陽礼拝、スタンディング、3つのパドマのみ。最初の3回はチャトランガが普通に出来たー!!途中から腕がしんどくなって、エイトポイントにモディファイド。ウップルティヒも依然として1ミリも上がらないけど少し浮く感覚を取り戻した。

筋肉痛にならずに太陽礼拝が出来たことがすごいと思った。笑

人間の身体というのはすごいですね。
習慣が人をつくる。2カ月もあれば身体からして別人になれてしまいます。

現在妊娠20週で6カ月目、体重は妊娠前から既に5kg増加。

これから更に急激にお腹が大きくなっていくから、このペースだと妊娠前からプラス10kgいきそう(°_°)

なるべく余計な脂肪はつけずにフィットな身体で出産に臨めるよう、身体を動かす習慣として練習をできるだけ頑張りたい。


2015年12月16日水曜日

妊婦練 19w6d

前回の練習再開から3日空いて2回目の妊婦練。太陽礼拝+スタンディング+3つのパドマのみ。

前回の練習によるトラウマレベルの筋肉痛が癒えぬまま、開き直ってチャトランガは膝をついたエイトポイントポーズにモディファイ。でも、Bに入ったころにはそれすら辛かった(°_°)

ウップルティヒはやっぱり1ミリも上がらない。上がらないけど上げようと頑張った状態で10呼吸ホールド。

妊婦でのカポタやバックベンドを楽しみにしてたけど、セカンドどころかフルプライマリーまで復帰できるのかも怪しいな。(^o^;)

でもいいの。身体づくりとしては太陽礼拝だけでも十分だと思うから。

できることをできるだけ頑張ろうと思います!

今朝は妊婦練先輩のJ子ちゃんが1歳のベイビーを連れてきていて、色々お話できたし良かった(^o^)

2015年12月15日火曜日

妊婦練デビュー 19w3d

12/13  19w3d
三ヶ月ぶりに朝練復帰、妊婦練デビュー。

9/12のリトリートでの練習を最後に、全く一度も太陽礼拝すらもやっていなくて本当にまる三ヶ月ぶりの練習、太陽礼拝+スタンディングのみ。

太陽礼拝。きっつー!!!!

私の愛した太陽礼拝。セカンドに進んで練習時間が長くなったからもう5回ずつやらなくていいよと言われてもそれでも大好きで短縮したくなかった、太陽礼拝。

ひたすらきついだけで、全然気持ちよくない( ´ ; ω ; ` )

特に大好きだったチャトランガからアップドッグの流れは一番きつくて、もう途中からお腹付いてました( ´ ; ω ; ` )

なにあれきつすぎる。
ていうか、チャトランガは朝練始める前のヨガビギナーズ時代から普通に出来てたのに、まさかできなくなる日がこんなにあっと言う間にくるなんて驚きです。がーん。

体重が5キロ増えたのももちろんあるけど、でも肩と腕の筋力の衰えを如実に感じた。

日々の練習の積み重ねの大きさを改めて感じました。

スタンディングなんてもはやポーズの順番覚えてなくて、隣にきた人がスタンディングやってたから見ながらやってた。プラサリータの順番もさっぱり。

フィニッシングは3つのパドマのみ。

ウップルティヒ、1秒も上がらず。いつかみたキノ姫の記事だか動画だかで、「ウップルティヒでもう無理、と思ってそこからの後1秒、後1秒、があなたを強くする」みたいなことを言っていて、いつもその言葉を思い出して私は強くなるんだと言い聞かせながら15〜25呼吸踏ん張ってたのだけど

まあ1呼吸どころか1ミリも上がりませんでしたねorz

太陽礼拝だけでも、毎日やらないとなあと思った。

やっぱり何事も日々の積み重ねあるのみですね。

ショックだったのと同時に思ったのは、今はまだ家事と仕事の両立に慣れなくて余裕がないのだけど、日々こなしていくうちにこなれていくはずだ、今はこの日々を頑張ろうと改めて思えた。

自分のキャパシティを広げるときというのは、どんなことであれ必ず負荷がかかるわけですよね。

人からは楽々やってるように見えること、その裏には数え切れない繰り返しの練習/実践があるのが常で。

太陽礼拝すらきつかったのがフルプライマリーをエフォートレスな感じで静かに軽やかにできるようになるように、家事と仕事とミニマムなアーサナの練習を無理なく無駄なく流れるようにこなせる日が必ずやってくる。

practice practice practice ただ実践あるのみ


しかし、筋肉痛が辛すぎる( ´ ; ω ; ` )

2015年11月17日火曜日

私の選択。時事問題に思うこと

私事に大忙しで、長いことニュースを全く見ていませんでした。

パリで大規模なテロがあったことを知って、悲しいと同時に、久しく外の世界の動向から離れていた私は正直「まだそんなことやってたの?!」と思わずにいられなかった。

不毛なことにエネルギーを使う自滅行為は、もう止めたらいいのに。 

私が想像も出来ないほどの、溢れて止まらない怒りがあるのは分かります。

癒されぬ痛みがあるのは分かります。

信じている正義があるのも分かります。

でも、

誰かや何かを悪意をもって傷つけることは、自分自身や自分の愛するすべてを傷つけることに他ならないと、すべては繋がっているのだと、なぜ分からないの?

そう思ってはたと気づく。

私自身、誰かや何かに悪意を向けてきたではないか。悪意をもって言葉や態度で人を傷つけたり、攻撃してきたではないか。抱えきれない痛みや怒りが溢れて、自分ではどうしようもなくなってしまったのではなかったか。

「まだそんなことやってたの?」


外の世界で次々に起きる、人々の「信じられないような」選択に対して、私が出来ることは何もありません。

でも、見るものすべては私自身への戒めであり「信じられないような」選択をして周囲や自分自身を愚かにも傷つけてきたのは私も同じ。

ダークサイドにおちるのは簡単。

だからこそ私は、幸せや穏やかさや調和や喜びを選びます。

結局のところ、やっぱり私が世界のために出来ることはそれしかなくて、

そして逆に自分自身のためにその選択を出来ずして、どうして人や世界のために何かができようか。

皆が幸せでいられますように。


2015年11月16日月曜日

頂きもの。ヴェレダのオイル

先日、9月に可愛い赤ちゃんを産んだ先輩ママなヨガ仲間に会いに行ってきました。

そしたらば、こちらがお祝いに行ったつもりが結婚祝いと妊娠祝いということで逆に色々頂いてしまいました!

思わぬギフトに感激。

すさまじくセンスがよいペアのマグカップに旦那さんも感動して大喜び。

そして私がすごく嬉しかったのは、ヴェレダのマッサージオイル!イエーイ!


妊娠線ケアのためのオイル、ちょうど考えなきゃと思ってたのよね。

このヴェレダのマザーズオイルは、べたべたしないしすごく良いです!!そして柑橘系?のアロマな香りにうっとり。

お腹だけではなく胸とお尻もケアした方がいいらしいので、旦那さんに毎日オイルマッサージしてもらうことにしました。

穏やかでないサバイバルな妊婦ライフを送っていてるので、妊娠線ケアを兼ねた貴重なリラックスタイムになりそう。朝練の習慣から離れて心身共に疲れが溜まりっぱなしなので、アロママッサージ、ほんとご褒美です。

旦那さんも新たな日課を与えられて嬉しそうで良かった。笑

色々大変だけど。
がんばるぞ(`• ω •´ )

2015年11月11日水曜日

Find a reason to live

母が、春までに体力をつけるためにジムに入会したらしい。

五月の私の出産予定日に向けて、初孫の面倒をみるために張り切っている模様。

ベイビーのために元気でいなくちゃ!などと言っているのを聞くと胸がいっぱいになる。

長生きなんてしたくない、とよく呟いていた彼女が、新たな希望や楽しみを持っていてくれることが、自分がそれを与えられることが、嬉しくて嬉しくて。

うちの母はとても優しくて美しいひとで、色んな人の痛みを感じとって自分の痛みと一緒に抱えて生きてきたような、なんだか悲しげなところがある。

ただの道楽には喜びを見出せない人で、私と兄が手を離れてからは勉強に仕事にボランティアに国際交流に、色んなことにチャレンジして奮闘していた。

生きがいや喜びを、意識的に見つけ続けようとしていた気がする。

執着のなさ故に、引き受けてきた悲しみ故に、ふわりと俗世から離れてしまいそうなところを、懸命に自分を奮い立たせてきたような。

Find a reason to live. 
生きる理由を見つけなさい。

あるSNSのプロフィールに彼女がのせていたquote.

この人の余生を出来る限り喜びで満たしたい、と思います。


親不孝してきたから余計に…

2015年11月9日月曜日

妊娠記録11〜13週

胸がかなり大きくなった。今まで使ってたユニクロのブラトップのMだとパツパツで溢れるようになってきたので、産前産後で使えるマタニティーインナー初購入。





マタニティーサイズならMかな?と迷ったのだけど、妊娠後期と産後更に巨大化したりするらしいのでLにしてみたらぴったりだった(^o^)

フィット感がいい感じだし、デザインが可愛いくて気分が上がる♡きゃっきゃウフフ

他に買ったアイテムは腹巻き。腹回りがかさばるのと苦しくて辛いので薄くて暖かいのを探していたのだけど、ケユカの腹巻きがいい感じ。お値段も1000円とお手頃。家ではモコモコの腹巻きしてます。


汗だくになってヨガをやりこむうちになんというか女性性をどこかに置いてきてしまった感があったけれど、妊娠という女性性発揮の真骨頂的なイベントを経験中なだけあって女性であることを楽しもう!という気持ちになっています。あ、結婚によって男性に愛されて守られている感を日々感じているせいももちろんあるかな。

あと、妊娠中の女性ホルモンのなせるわざだと思うけど肌の調子が絶好調。

10/22 11w6d 出生前診断のエコー検査。脳、臓器、手足、心音確認。5cmくらいなのに人間の形ができててバタバタ動いててすごく可愛い。涙が出た。とにかく、健康に無事に育って欲しい。まだエコー立会いできない旦那さんにも早く見て欲しい。あの人、泣くんじゃないかな。

つわりは依然として地味に辛い。眠れない、気持ち悪い、疲れると頭痛い。

体調を維持しながら仕事をこなすのに必死すぎて、平日は自炊まったくできない( ´ ; ω ; ` )
20代のときみたいにかなりの勢いでコンビニとインスタント食品にお世話になってます。家庭的なママじゃなくて赤ちゃんごめんね( ´ ; ω ; ` )今からちゃんと心をこめたご飯を毎日作らないと。つわりが落ちついたらちゃんと毎日自炊しなくちゃ。

眠れないのはこの余裕のなさのせいもあると思う。マタニティーブルーまでいかないけど、生きるのに必死すぎて全然穏やかじゃないもの。笑 精神状態を暗示してるかのような不穏な夢ばかり見るし。この不穏な波動に赤ちゃんを浸してると思うと…orz

ゆったりとは過ごせなくても、せめてなるべく笑って明るく過ごしたい。

匂いにかなり敏感になっていて、タバコの匂いはかなり無理に。

香水の匂いもダメなので、旦那さんに香水付けるのやめてもらった。

あと、家にいるときはせめて静かに過ごしたいという私の気持ちを察してか、私がいるときはテレビもつけなくなった。

彼との結婚を考えたとき、ライフスタイルの違いが心配だったのだけど、杞憂だった。最初からぴったり合うかどうかよりも、
こうして状況に応じてお互い合わせていけることが大事なんだなあと。

11/6   14w1d  3回目の妊婦健診。じたばた動いてて元気で、順調!へその緒もかなりしっかりしてて、手足も指まではっきり見えた。かわいい。元気に育ってね。

この頃から、だいぶまとめて眠れるようになってきた。眠れるってしあわせ。


2015年11月2日月曜日

シャラで坐禅

土曜日は、坐禅会にでるために実に1か月半以上ぶりにシャラへ。
懐かしかった~!!!!!

 星覚さんのご指導のもと、坐禅の他には正法眼蔵随聞記購読と応量器作法に則った薬石(夕飯)を頂くプログラム。

星覚さんとの再会、そして永平寺・天龍寺の禅の旅への参加経験者がほとんどだったので、懐かしき参禅の日々が蘇って胸があつくなりました。

永平寺で、天龍寺で聞いたあの鐘の音。虫の声。土の匂いと緑の気配。冷たくて澄んだ空気。

この静かな豊かさにずっと囲まれていたい、山を降りたくない、このまま出家したい、と割と真面目に思ったのだったっけ。

 と同時に、早く山を降りなければ、都会の雑踏に戻らなければ、という思いに駆られたのもよく覚えてる。

まだ若い修行僧たちが朝課で一心に読経する姿に、迷っても悩んでもそれでも懸命に生きようとする人間のひたむきさを見たような気がして、鳥肌がたつほど感動した。

私は私の置かれた場所でめいっぱい自分の役割を果たさなければ、と思わされたのだった。

...
久しぶりにきて、シャラはやっぱり祈りの場所だと思った。沢山の人達が集まって祈りを捧げてきた場所特有の澄んだ空気がある。

日常的に通えるそういう場を持っているということは、とても贅沢で幸せなことだと思います。

妊娠して以来、日常を生きることに必死で余裕をなくしていた私は、久々にシャラの静謐な空気の中で静かに坐ることでとても癒されました。

色んな紆余曲折があったけど、私はやっぱりこれまでにつくりあげてきた自分の世界をたまらなく愛している、と改めて思いました。今まで自分が選び取って歩いてきた道程と、そこで与えられてきたすべてに感謝しています。

私はとりあえず引き続き自分の居場所で自分の日常生活の中で、一瞬一瞬を精一杯やっていきたいと思います。

マットの上で、一呼吸一呼吸を、身体の動き一つ一つを、自分自身を捧げるような気持ちで練習するように。



"The woods are lovely, dark and deep,   
But I have promises to keep,   
And miles to go before I sleep,   
And miles to go before I sleep." 
- Robert Frost



2015年10月26日月曜日

葛藤の出生前診断

またしても最近、悩んでいました。
出生前診断のひとつ、ダウン症などの染色体異常を検査する非確定的検査を受けるか否か。

これは重いです。超重いです。重過ぎて向き合うのが辛い問題でした。

自分の中では当初から、受ける必要性もないと思っていたし、抵抗があったけど、家族の意向もあったので。。。

検査を受けることで皆が安心できるなら、とそれ以上は深く考えずに検査を希望しました。

私の病院では検査を受けるには専門家によるカウンセリングが必須で、それを受けてきました。そこで染色体異常と検査について説明を受けた上で、

何を目的に検査を受けるのか?
出てきた結果をどう受け止めるのか?
結果によっては羊水検査に進むのか?

そういうことを考えさせられました。もちろん、その先にある、万が一、羊水検査まで進んで陽性が確定したら、どうするのか?ということまで含めて。

非確定的検査で分かるのはあくまでも統計的に出された確率であって、羊水検査を受けるかどうかの判断材料でしかない。染色体異常の有無を確定させたい、白黒つけたいなら羊水検査をするしかない。

深く考えずに非確定的検査を受けた結果、出てきた数字に不安になって、羊水検査まで突き進んで葛藤して苦しむ人も多いそうで…

これは、安心材料を得るために安易に受けるものではないなと思った。

もちろん、白黒つける覚悟を決めているご両親が受ける分には何も問題ないけれど。

どんな結果が出ても、羊水検査は絶対に受けない。だから、非確定検査は受ける必要もないし受けたくない。それが私の答えでした。

その場で旦那さんに電話して、検査は受けたくない、と伝えた。旦那さんもその場で答えを出せず、後日話合うことにして電話を切った。

つわりで苦しいなか週数を経て、エコーで動く赤ちゃんをみて、万が一にもこの命を自ら絶つなんてことはとてもできない。そんな可能性を検討しただけで悲しすぎて泣きまくりました。

是が非でもこの子を守りたいと、母親は願うものだと思います。それ以外の現実的なことなんて全部二の次。自分の身体に新たな命を宿して、育てて、産み落とす。この大変なことをやってのけるため、手段を選ばない強さみたいなものが女性という性には備わっているように思います。妊娠継続を諦めざるを得なかった方の悲しみは察するにあまりあります。

あと、先生の仰ったことで印象的だったのが、ダウン症は染色体異常の中でも最も軽度な部類に入るものだということ。ほとんどの染色体異常は、育つ力がなくて初期の頃に流産してしまうんだそうです。つまり、ダウン症は自然淘汰を生き延びた命。

個人的には命の選別が悪だとは思いません。すべての命は厳しい生存競争を生き抜いて生かされているのであって、人為的なことや偶発的なこともすべて含めて起きたことは起きたこと、というか。起きることは起きるし起きないことは起きない。それ以上でもそれ以下でもないし、そこに意味はない。

出生前診断、是非を問う事の出来ない本当に難しい問題だと思います。「きれいごとじゃない」というセリフがありますが、もう生きていくこと自体がきれいごとじゃない。一切皆苦とはよくいったもんです。

マタニティーライフでこんな鬱なことに向き合うことになるとは思わなかった。苦笑 

旦那さんが検査を希望する真の目的が「ダウン症の子は育てられない、だからその可能性を排除したい。疑わしければ羊水検査もして、万が一のときは産むことを諦めて欲しい」ということならば、離婚も覚悟しなければいけないかもしれない、くらいに思いつめました。まだ結婚式もあげてないのに。笑 すべてを一緒に乗り越えようと今ここで言ってくれなければ、一生しこりが残るような気がして

結果として彼は「信じて検査は受けずにこのままいこう。もしものときにも、それを受け入れられるように強くなろう」と言ってくれて安堵した。
でも感動はしなかったので、彼ならそう言ってくれると信じてたのだと思う。少しでも疑ってしまってごめんなさい。でも、親になることについて、命について、夫婦一緒に話し合って向き合えて良かった。

先天的な異常よりも、後天的な障害のほうがよほど多いのだし、生きている限り不安の材料はつきない。親になるというのはすべてを受け入れる覚悟をすることなんだと思います。

「分かるよ~!初めての時は何もかも不安だよね(- _- ;)でも、産まれてからのほうがよほど大変だよー!(^o^;) だから覚悟を決めないとね! (^-^)/ 大丈夫、大丈夫!!!」

そんな風に明るく励ましてくれる先輩ママ達の強さにすごーく励まされました。

覚悟の連続。でも、こうして親として、夫婦として、ひとつひとつ課題を乗り越えて成長していきたいな。



2015年10月20日火曜日

新居決定と意思決定

新居が決まりました!

この数週間、つわりで苦しいなか悩みに悩んで頭を痛めてきたのですごく嬉しいです。

新居のエリアを決めるにあたり、産後仕事をどうしていくのか?ということに向き合い今の自分なりの答えを出す羽目になりました。

沢山のワーキングマザーたちや専業ママたちの人生を垣間みてきた中で思うのは、仕事を辞めるにも続けるにも覚悟がいるということ。

 私は結婚準備しながらの初めての妊娠でもうてんやわんやで今の目の前のことをこなすのに精いっぱいで。

産まれてから仕事をどうするとか、そんなこと考えただけで憂鬱で頭が痛かった。

が、辞める決断をしないなら続ける前提で、新居選びにあたって保育園やら通勤やらを勘案せねばならず。

自分がどうしたいのか?どうありたいのか?

この意思決定ができてないために、どっちつかずで何を差し出されても気に入らないみたいな状態になってしまっていた。

赤ちゃんを預けて働きたくない
両立できるか自信がない
でも辞めることにも迷いがある
仕事続けるなら通勤30分以内じゃなきゃ無理
でも会社のために生活をデザインするなんて気に入らない
両立は大変なんだから親の助けが不可欠!実家の近くじゃなきゃ無理

ブーブーぐじぐじ全てが不満みたいな感じだった。

あげくの果てには、仕事を辞めて欲しいとも続けて欲しいとも言わない旦那さんにどこかで苛立ちさえ感じていた。  

自分の問題なのに自分で決める勇気がないから、人のせいにしたかったのね。

彼はどちらにしても全力でサポートする、と言ってくれていたにもかかわらず、です。

こうして書いてて最低に卑怯だなと思いますが、それに気付いたのですみやかに反省し決断をくだしました。

母親業を最優先にして、仕事は続ける。利便性よりも、私達の子供がこれから育つ街としての環境、風景を重視。仕事は…なんとかする。睡眠時間を削っても頑張って両立する。

辞めるのはいつでも出来るので、やってみて無理があったり、私が育児に専念した方が家族皆が幸せと思われる場合は、そのときにまた再考する。

そう決めたら、あんなに理不尽な怒りに満ちていた心が一気に晴れ渡りました。

単に私は腹を括るのが怖くてたまらなかったみたいです。

でも案ずるより産むが易しで、とりあえず決めてしまってコミットすれば現実的なことなんて全部後からついてくるもんですよね。

こんなに清々しい気持ちになれるなら、さっさと覚悟を決めれば良かった。

決断は後から翻してもいいし、一度決めた目標やプランも撤回したっていいわけだし。

本質的な目的さえブレなければ、それ以外のことはアジャイルな感じで随時柔軟かつ適当に最適な状態を見直していけばいい。

私自身と私の家族の幸せのために最適な状態を維持すること、

それが私のコミットメントであってそのための手法そのものにこだわって悩んでアンハッピーになるのは本末転倒だなと。

私が腹をくくったその週末、素敵な物件とご縁があって即決しました。

腹をくくる前にブーブー言ってた条件を満たしていないけど、いまは理想的な素晴らしい物件にしか思えないから不思議。

本当に、ひとは見たいものを見たいようにしか見ていない。


新居の最寄り駅の神社には、狛犬ならぬ狛鳥が。ヒナ鳥たちを抱えたつがいの狛鳥さん。家族円満の象徴みたいだし、とてもかわいくて、好き。

家族皆でしあわせに暮らしていけますように。

2015年10月16日金曜日

妊娠記録 8〜10週

9/25 検査薬で陽性が出てから10日余り。ようやく病院で診察してもらう。新居が決まっていないので、とりあえず自宅近くの産婦人科へ。旦那さん(当時はまだ婚約者)も半休をとって同行。予約してたけど、2時間待った。

つわりがあるんだから赤ちゃんはちゃんと育ってるはず、大丈夫、といい聞かせる。

エコーで無事に心拍確認。安心して涙が出た。計算だと7週だけど、大きさから8w0dとのこと。体長1.3cm.

奥の診察室は男性立ち入り禁止で、仕事休んで2時間一緒に待った彼は結局エコーみれず笑 なんか悪いことした。

次回診察は2週間後、それまでに母子手帳をもらってきてくださいとのこと。

会社の上司にすぐに報告、相談。先のことはまだ考える余裕がないこと、差し当たってつわりが落ち着くまで週3の在宅勤務を許可して欲しい旨を伝え、快諾してもらう。オフィスの皆にも報告。皆驚きながらも祝福してくれた。女性陣にはハグされる。仕事は今までしんどいことが多かったけど、基本的にはやっぱり愛と理解が溢れる環境だと改めて思う。とても恵まれてるし、ありがたい。

10/1 誕生日休暇をとって朝から区役所へ。妊娠届けを出して、母子手帳を受け取る。この日の午後、婚約者と合流して、今度は彼の自宅最寄りの区役所へ。かねてから準備してた婚姻届を提出。

34歳の誕生日のこの日、結婚して名前が変わって、母子手帳を受け取った。はじめて新しい氏名を書き込んだのが母子手帳で、それがとても嬉しかった。

10/9 二回目の健診。10w1d. 体長3.4cm.
2.5頭身くらいの人間ぽい形に成長していて、くねくね動いてる。かわいい。

次回健診は4週間後。待ち遠しい。

つわりは大分楽になって、気持ち悪さや寒気はほとんど感じることはなくなった。が、頭痛は毎日。仕事中は冷えピタを貼りっぱなし。疲れると苦しくなる。終日外出はやっぱり辛い。でも、たぶん普通に毎日出勤して1日仕事してる妊婦さんの方が多いよね。つわりがある人はかなりしんどいんじゃないかな。母は強い。尊敬します。

寝てばかりだった超初期からうって変わって、今度は全然眠れない。これが一番辛い。寝不足なのに眠れない。旦那さんと一緒に寝ると、ただでさえ眠れないのに、彼を起こしてしまわないか気を遣ってしまってくつろげない。さすがに寝不足で死んだように寝落ちする瞬間があるんだけど、30分以内にはハッと起きてしまう。何なのかな?なんか常に外敵を警戒してる動物みたいな感じかな。リラックスしてぐっすり眠りたい。マッサージとか行こうかなあ。。

安定期に入ったら、シャラには毎日は行けなくても練習は毎日したいな。

2015年10月14日水曜日

妊娠記録 5〜7週

布ナプキン導入以来、綺麗に28日周期できていた生理が遅れて数日後、ある日突然気持ち悪くなる。検査薬でチェック、陽性。

翌日から穂高でのリトリートだった。1日だけフル練習したのが最後の練習になった。このとき、既に寒気と眠気がひどくなりつつあって辛かった。

病院に電話するも、心拍を間違いなく確認できる連休明けまで待つことを勧められる。病院で診てもらわないと不安、と伝えると、状態を聞く限り間違いなく妊娠しているし、痛みも出血ももないなら異常がある可能性は低いので焦らなくて大丈夫とのこと。不安ならもちろんすぐに来てくれて構わないけど、と言われるが妙に納得して待つことにする。

先輩ママたちに話を聞くとみんな細かに経験談や助言を話してくれる。心強くて、不安が拭われる。信じて待とうと思えた。感謝。

気持ち悪さと眠気が日増しに強くなる。37.5弱の微熱が続く。頭痛と寒気も日によってひどかった。

仕事がしんどくなり、週の半分以上を在宅で仕事する。週末も、半日以上は横になって病弱ぶる。

食べたいものが気分によってピンポイントになる。肉を全く受け付けない日が続いたと思ったら、数年ぶりにハンバーグが無性に食べたくなったり。梅干とたくあんがご馳走。塩気を欲してるのかも。

寝たいときに寝て、食べたいものだけ食べて、出来ることしかしない。今までの自分では考えられないマイペースぶり。

旦那さんが甲斐甲斐しく世話をしてくれる。男性はパートナーの妊娠で忍耐と寛容を試される気がする。親になることで成長するのは男性も同じ。

気持ちが過敏になると、世話をされっぱなしなことが申し訳なくて泣きたくなることも。1人で居た方がいいんじゃないかと考えが飛躍したりもする。旦那さんは何も心配しなくていい、一緒に成長していけばいいと言ってくれる。この人を選んで良かった。

誰かに昔、言われたことがあった。

人に甘えるのも勇気、頼るのも勇気、委ねるのも勇気。

思えばずっとひとりで強がってきて、コントロールを握りしめたまま手放す勇気がなかった。人を信じる勇気がなかった。弱さをみせて甘える勇気がなかった。

私にとっては、長いこと課題だった「素直に人に甘えること、頼ること」の本番がきたように感じる。

当然だと思ってきたことができない。
最低限のことすらままならない。

つわりも辛いけど、それ以上に妊娠前とのギャップを受け入れることが辛かった。

思い通りにならない。ままならない。

歯がゆさと情けなさと申し訳なさを感じながら、むしろ今までいろんなことを思い通りにしようとしてきたこと、不自由なく暮らせてることを当然のように思ってきたことが傲慢だったのかもしれない。

自分を責める気持ちが湧いて泣きたくなるときもあるけど、もう迷妄ドラマを演じてる場合じゃない。自己卑下に逃げるのは楽だけど、誰も幸せにしない。

なんのために生きてるの?ピシャリとエゴを一喝して、赤ちゃんに謝って感謝して、今できることをする。

日々是学び。

2015年9月28日月曜日

授かりもの

昨日、夕暮れ時にふと空を見上げたら月がものすごく美しくて息をのむような透明感で思わず見とれてしまった。

最近すっかり朝練を引退してしまった私はムーンデーを把握していなかったので、満月なのね!と思ったけど満月前夜の中秋の名月でした。

中秋の名月は旧暦のお盆の夜のお月様のことで、満月とは限らないのと今年のように満月と続くのは珍しいんだそうです。しかも今日の満月は2015年で一番月が大きく見えるスーパームーンだそうで、これまた特別感満載ですね!


で、どうして朝練をすっかり引退中なのかというと、思いがけず赤ちゃんを授かりました。

他のすべての親たちが願ってきたように、無事で育ってくれることをただ祈るばかりです。

先日病院で初めて心拍を確認して、クリオネみたいに小さい胎児のトクトク心臓が動いているのをみて、安心と感動で涙がでました。

ただ無事であるということがどんなにありがたいことか。

人生の怒涛の急展開のなかで、マットの上にはしばらく立てなくなってしまったけど、
今になってなんというか何のためにヨガだの坐禅だのをやってたのかが少し分かる気がして

私にとっては、それはただ一つシンプルに、

「どんなときでも、今目の前にあるものをめいっぱい大切に味わうこと」

ひたすらにその練習をする必要があったような気がします、私の場合。

こう見られたいとか、ああなりたいとか、ああであるべきとか、なんだとか、ぶち捨てるべき余計なものを沢山抱えて生きてきたから。


こだわらず、とらわれず、どんなときも、授かったいのちを精一杯全うしようと

新たに別の生命を授かったいま、つわりでいっぱいいっぱいながら思います。

そして、私のお腹の子も含めて、それぞれの持ち場で一生懸命生きているすべての人達の前途が優しいものでありますように。











2015年9月15日火曜日

泣いても笑っても

怒涛の変化と人生の急展開の中で、ひしひしと感じるのは今の経験は今しか出来ないということ。

嫌でたまらなかったことや辛くてたまらなかった時期も、終わりが見えたら愛しく感じる。

いま愛しくてたまらない優しい人達と過ごす優しい時間も、いつかはお別れがくる。

いいことも悪いことも全ては一瞬一瞬移り変わっていて、変化が現実に目にみえて現れるときにはびっくりするほど一瞬で世界が様変わりする。

泣いても笑ってもどちらでもいいけど、いつ終わりがきても悔いがないように、とにかく今与えられているすべてをそのまま全身全霊で大切にしたい。そう切に思う日々です。



2015年9月7日月曜日

週末は

乗鞍岳という山に行ってきました。


標高3000m級ということで超ガチ登山と見せかけて、2600m位のところまで乗り合いバスで行けるので標高差300m、片道一時間半程度のお手軽登山。

小さい子供とか高齢者もたくさんいました。


アシュタンギ的にはへっちゃら、フルプライマリー+セカンド途中までの練習のがよっぽどキツイ。

が、それでもこんな感じの道を登ってくのはそれなりに息が上がって

アーサナの練習のように自分の呼吸を感じながら一歩一歩味わって登りました。


山頂近くまでくるともうものすごく空が綺麗で天国ですかというレベル。


世界はなんて美しいのかと。感動にことばを失う。

独りで淡々と暮らしながら自分の内側を見つめ倒す毎日もそれは豊かで贅沢だったのだけど、

こうして人生を分かち合える相手がいる幸せに今は感謝する毎日です。

うふふ(´>ω∂`)

2015年9月1日火曜日

家族の縁

気がつけば、八月も終わり。

相変わらず結婚準備を怒涛の勢いで進めていて忙しく過ごしております。

日曜日は満月でしたが、ちょうど私は伴侶のご実家にご挨拶へ伺っていて、大きな流れのなかの一つのピークを迎えた感があります。

婚約から1ヶ月あまり、私と伴侶の二人にとっての一つの結実であると同時に、もっと大きなスケールで、たとえば私の人生で今までばらばらだった点が一つに収束するような、たとえばお互いの家族とかご先祖様とかが時空を超えて織り成してきたタペストリーが繋がったような、なんともいえない不思議な結実を感じます。

結婚しようと決意して伴侶を求めたのは自分自身だったけれど、すべてがすごい勢いで決まっていくなかで、自分の意思よりもはるかに大きな力が働いているのを感じずにいられなかった。

ちょうどお盆の時期だったからか、結婚というのはやっぱり家系マターだからか、この結婚を背後で強烈に後押ししたのは家族や血縁の意識というか意思だったように思えてならない。

家族というのは社会の最小単位なので、その関係性における人のお役目というのはすんごい重要ごとなんだと思います。

親やそのまた親の世代から与えられてきた愛は何倍にもして次の世代へ。 
そして遠い過去から受け継がれてきた痛みはここで終わらせたい。

今度は私が皆を守る番だと。そんな風に思います。


2015年8月13日木曜日

伴侶を持つことについての抱負

すもうすぐお盆ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。

私は結婚が決まってから約3週間、婚約者と出会ってから約3ヵ月(!) 怒涛の勢いで物事が進んでいて、あちらこちらへ精力的に動き回っています。
出家しそうな勢いで、ひっそりと暮らしていたのが嘘みたい。

なんだかんだと忙しくて朝練も随分さぼりがちに。。。orzぎゃー
3日と練習をあけたくなかった私がこんなに練習の優先順位を下げる日がくるとはね。朝練は生涯デイリーに続けたいんだけれど、あれもこれも出来ないから、今はいたしかたないか。

今まで色んな人生のフェーズを生きてきたわけですが、どれももはや過去生だったんじゃないかってレベルで違う世界を生きている妙な感覚です。

誰かとなるべく一緒にいて二人でワンセットみたいな暮らしをすることに慣れていないので、正直やっぱり疲れを感じたりもします。

静けさに浸る時間が存分にある孤独ライフが恋しくなったりもします。

でも、誰かのために生きる人生を選びたい、そう決めて結婚を望んだこと
彼と一緒に新しい生活を再構築するためなら、今までの自分のこだわりとかスタイルもぶち捨てる覚悟をしたこと

そういうことを忘れずにいたいし

同様に、一人の男性が私と生きていくと決意してくれたこと
自分の世界を生きてきた彼がいま私の側にいてくれること

そういうことを決して当たり前のことだと思いたくない。

いいことも気に入らないことも楽しんで
愉快なことも不快なことも慈しんで

どんなときも彼のことを、一緒に過ごす時間を、めいっぱい大切にしたいと思います。

ヨガの練習みたいに淡々と積み重ねていきたい。

彼は本当にとても優しくて包容力のあるひとで、まじでこいつは仏かと思うことがしばしばあります。

私はこれからこの仏に仕えて掃除作務や料理作務をはじめ妻作務を頑張ろうと思います。企業戦士作務や朝練作務ともなるべく頑張って両立します。いつか育児作務のお役目が回ってきて欲しいです。

そんな感じです。


2015年7月31日金曜日

ご縁あって

結婚することになりました。

ようやく実感が湧いてきて、じわじわとこみ上げる幸せに浸る日々です。

私はどこか自分のことなんてどうでもいいと思ってきたフシがあって、一般的な幸せとか自分自身のための何かを求めようとすることがなかなか出来なかった気がする。

今回、私の周りには私の結婚をものすごく喜んでくれる人達が居て、そのことに心が震えるような感動を覚えています。涙ぐむ人びとや輝かしい笑顔で喜んでくれる人びと。

私自身が願う以上に私の幸せを願ってくれている人達がこんなに居るのか、と思うとありがたすぎて泣けてきます。

やっぱり幸せでないといけない、と思う。

ご機嫌で幸せでいたい。優しく満たされていたい。

それが私の周りの人達を喜ばせるなら、幸せな気持ちにさせられるなら、尚更そうありたいと思うわけです。

しかし、ご縁とは不思議ですね。
仕事探しやマイソールのシャラ探しでも経験してきたけど、必要なご縁はトントン拍子に結ばれていくもの。

結婚もそうなるだろうなと思っていたけど、まさに水が流れるようにスムーズに婚約まで進みました。

今までのすべてがあったから彼と出会えて一緒になれたのだと思うとすべてがただただ愛しいです。

で、過去のどんなに苦しかったときも腐りかけたときもそれでも何度でも立ち直ってこれたのは、やっぱりこうした日々が先に待っていることを知っていたからじゃないかなと。思ったりします。



みんなが幸せでありますように!

2015年7月15日水曜日

Lost in Love

おはようございます。

6月があっという間に過ぎ去り、気づけば7月も半ば。

長らくブログを放置してしまいました。
優しさに包まれた日々を送っていたら思考停止状態になってしまいました。
目にうつるすべてのものはメッセージみたいな感じです。
ことばを失った瞬間が一番幸せみたいなそんな感じです。

ちなみに練習をしていないわけではなくて、バカーサナまで進みました。
相変わらずカポターサナが大好きです。
スプタバジュラーサナは相変わらず全く手が届きません。

でもアーサナが出来るとか出来ないとかいよいよもってすさまじくどうでも良くなってきました。

空が抜けるように青くて綺麗なこととか
緑や花が鮮やかなこととか
風が気持ちいいこととか
鳥が歌うように鳴いてる声とか
優しい人々がそばにいることとか
誰かが嬉しそうにしていることとか

そういう色んなことに静かに喜びがこみあげてきます。
世界はうつくしいですね!!!

私は人生は何でこんなに辛いんだろうと思ってた時期が長くありました。
当時ある友人は人生は何でこんなに退屈なんだろうと言っていました。
他の友人は人生は何でこんなに腹立たしいんだろうと言っていました。

辛いとか苦しいとか痛いとか悲しいとか寂しいとかつまらんとか腹立たしいとか人には感情があるので、生きるというのは時に中々どうして難儀なことです。

往々にして、自分の中の癒されていない痛みを外側の世界に投影してみているだけなのだけどね。

痛みを知ることはとても大切。無自覚に痛みを疼かせたままだと、延々と痛みのドラマを自動再生し続けたりしてしまうから。なので負の感情も喜びと等しく味わい尽くすべきものだと思います。

でも、辛苦も必要なだけなめたら、後はぜんぶ笑いとばして
楽しく幸せに生きていくことを選んでほしい

かつての自分にか友人にか、今も痛みを抱えた誰かになのか、誰にともなくそんな風に思願う、今日この頃。


緑は愛の色♡

2015年6月5日金曜日

めくるめく後屈と口唇期

後屈について、練習ブログ仲間さんが先日こんなコメントをくださった。

インターミディエイトの本にありましたが、後屈アーサナはいわゆる口唇期と共通するもので、他者へ対してイエスといえる部分や他者への開放的な性質、対するカウンターポーズはスプタなどの脚を頭の後ろに持ってくるアーサナでこちらは肛門期に相当し、他者へのノーが言えるものだそうで。

この本というのはグレゴールメーレ先生の本だそうですが、私は読んでいないので上記の考察は初めて聞きました。

これスゴイ納得ー!口唇期ですってよ!アナタ!

口唇期・肛門期というのはフロイトのあれですね。
下記、こちらから引用させて頂きました。

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Ⅱ.リビドー発達的見地(引用;カウンセリングの理論,國分康孝著)
 性格とはリビドーが人生の節目節目でどのように満たされてきたかによって決まる。フロイトは次の5段階を設定した。
 
(1)口唇期;oral stage(誕生~1歳半)
 この時期は,乳を吸う活動が中心となって心身が発達すると考えられるので,この名称で呼ばれる。乳児は口唇粘膜とその周辺で快感を得ているに違いないと想像。口唇活動に伴う栄養摂取,快感獲得,母子間の感情的交流の三つが分離せずに密接に絡み合っている。この時期に問題のある人を「口唇期性格」といい,たいていは甘えん坊,酒飲みである。
 
(2)肛門期;anal stage(生後8ヶ月~3,4歳)
 この時期は,大小便の躾の時期に相当する。排泄活動が快感をもたらす。快感は排泄を我慢することから来る充足感と,排泄によって得られる緊張の解放感から成ると考えられる。躾を通してセルフコントロールの訓練をする時期である。この時期に問題のある人を「肛門期性格」という。あまりにも躾が厳しい中で親の言うままに育つと,何事もきちんとしないと気の済まない融通の利かない人間になる。逆に,親に反抗して育つと時間や金銭,愛情を出したくない人間になる。(けち,攻撃的など)
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うんうん確かに、甘えん坊で快楽主義者だ。

後屈で恍惚を感じ、アジャストを官能的に感じ(先生は修行僧のような女性です、どこぞのモデル風イケメンアシュタンギではないのであしからず)、
坐禅を組めば自他の境目がなくなっていく感覚に至福を感じ、完全にやばい女ですね!!

アンバランスを感じてしまうのは、私はバックベンドで足首を掴めるほど後屈が深まっているのに対して、スプタのような脚を頭にかける系のポーズが全然駄目なのです。前屈が苦手なせいなのか、股関節外旋に問題あるのか、脚を後ろに持っていくのが全然できない。家で準備ストレッチ、と思って寝そべってやってもだめ。脚が後ろにいかない。

そもそもアジャスト付きでもスプタがかからないような人がインターミディエートを進めていいの?とも思うし(どうせ止るだろうけど!)ポーズの進度はまあ別にどうでもよいのだけど、このアンバランスはどうかな、と。本来なら、後屈だけではなくて、そのカウンターポーズも一緒に深まっていくべきだと思うわけです。

確かに、スプタ系が肛門期的問題に相当するポーズだとすると、納得。確固たる自分を持つとか貫くとか、そういうのてんでダメです。自分というものがないというか。自分というものなんて、身も心も全部捧げて明け渡して消えてしまえたらどんなに素敵かしら、とわりと明るく真面目に思ってるフシがある。

最近バックベンドで足首を掴んだりカポタで踵を掴む、「めくるめく後屈」で恍惚を感じてるのは果たして良いのだろうか。笑  口唇期的性格に拍車をかけそうな。。。。 ばぶばぶ。

バランスをとるためにも、スプタにフォーカスかなあ。(っていっても日々淡々と練習する以外何もできないけどね!)

2015年5月27日水曜日

後屈深化

カポターサナに進んでから、後屈が更に深化中。最後のバックベンドで足首を掴むのがかなり楽になった。先生が手を離しても独りで立っていられそうなくらい、足腰が揺らがなくなってきた。そしたらば、今朝はじめて、床に降りずにそのまま足首掴ませてもらっただよ。むはー。エクスタシー。

…恍惚を感じつつ、最近、やたらと後屈ばかり深めていることに関して少し思うことがあります。

それについてはまた今度。

今日も素敵な一日を。

2015年5月26日火曜日

神をみる

ヨガは人生の哲学であり、心身ともに活力に満ち溢れ健康な体をつくります。
 アシュタンガヨガのひとつひとつのポーズを正しい順番で練習していくことにより、肉体、心理、精神といった、人体が潜在的に持っている能力を効果的に伸ばしていくことが可能になります。呼吸(ウジャイ・プラナヤーマ)、ポーズ(アサナ)、目の位置(ドリスティ)この3つを同時に正しく行うことで私たちの感覚とより奥深くにある意識をコントロールできるようになります。また定期的、献身的な練習を行うことにより、心身の安定を得ることができます。
 「アシュタンガ」とはサンスクリット語で、ヨガの八支則を指します。これらは禁戒(ヤマ)、勧戒(ニヤマ)、ポーズ(アサナ)、呼吸(プラナヤーマ)、五感のコントロール(プラティヤハーラ)、集中(ダーラナ)、瞑想(ディヤーナ)、三昧(サマーディ)の8つの枝から成っています。このひとつひとつの枝はお互いを支えあっています。これは、呼吸を正確に行うためにはポーズの修得が必要であり、それができてはじめてヤマ、ニヤマを身につけることができる、といったように全てが繋がっているということです。最初の外部的な4つの枝(ヤマ、ニヤマ、アサナ、プラナヤーマ)をしっかりとマスターしていくことにより、内部的な後の4つの枝(プラティヤハーラ、ダーラナ、ディヤーナ、サマーディ)が自然と進化していくのです。
 「ヴィンヤサ」とは呼吸と身体の動きを同調させることを指します。呼吸は一つのポーズから次のポーズへと動きを正確につなげる手がかりとなります。
呼吸を通じ身体に入って来るエネルギーを外に漏らさないようにするテクニックである“ムーラバンダ”と“ウディヤナバンダ”を使いながら、呼吸と動きを同調させることにより、その結果体の中に非常に強い熱が発生します。この熱が筋肉や臓器を浄化し、体の中にたまった毒素を体外に排出させます。またこれと同時に有益なホルモンやミネラルが身体の中から放出され、汗が体の中に擦り戻されることにより更に体に還元されるのです。また呼吸がヴィンヤサをコントロールすることで、さらに効率のよい血液の循環が行われます。このような作用によって軽く力強い身体がもたらされてくるのです。
 アシュタンガヨガのシステムは3つのグループに分けられています。プライマリーシリーズ(ヨガ・チキツァ)は体を浄化し、身体のゆがみを矯正します。インターミディエイトシリーズ(ナディ・ショダナ)は神経器官を浄化し、エネルギーの経路を開き、きれいにします。アドバンスドシリーズA、B、C、D(スティラ・バガ)はさらに高いレベルの柔軟さと謙遜的な姿勢を必要とし、ヨガの修練が持つ力強さと優美な面を統合します。
 次のレベルのシリーズに進む前には、その前のレベルのシリーズを完全にマスターしていることが条件となり、ポーズが正確に順番通り行われていなければなりません。全てのポーズはその次のポーズへの準備となり、次のポーズへ移行するために必要な力強さやバランスを養うためのものであるということを忘れないでください。
 
【呼吸について】:
  アシュタンガヨガでは一定に連続した深い呼吸がとても重要視されます。呼吸が身体の動きを導くことで、動きがポーズを生み出し、それぞれの体の動きがなめらかに正確で完全に安定したものになります。
 シュリ・T・クリシュナマチャリヤとシュリ・K・パタビジョイスは「呼吸は人生である」と説いています。呼吸は私たちが行う最も根本的且つ不可欠な行為であり、神聖な物として扱われています。吐く息は神へ向かう行為であり、そして吸う息は神から授け物をもらう行為であるというように。私達は最期に息を吐ききって死に到ります。これは最終的な神への完全降伏を意味しているのです。
 
【練習について】:
  努力無しには結果はありません。これまで西洋に紹介されてきたヨガのイメージとは違い、アシュタンガヨガは力強さやスタミナや汗をもたらします。この肉体的にハードな練習を続けることは大変な努力を必要としますが、その結果、身体中にたいへんなエネルギーがもたらされ神経器官は浄化され、ますます力強く生き生きとなっていきます。そして精神的にはますます明るく光り輝き、明瞭になっていくでしょう。
「みるもの全てに神をみることができるようになる。」とシュリ・K・パタビジョイスは言っています。練習を重ねることでのみ、私達のグルがいつも言っていることの真理を感じ取れるのです。

「全ては神である。」

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以上の文章はシュリ・K・パタビジョイスの承認を受けた上でアニー・ペースが作成したものです。この文章は一切の変更無しでの場合のみ、再配布が可能です。

 

2015年5月22日金曜日

金曜レッド

今朝は珍しく平日のレッドクラス。
レッドクラスは今まで何かと予定が合わなかったりさぼったりで数か月ぶりの参加。

ついレッドをさぼりたくなる理由は

自分のペースでできるマイソールの方が好きだから。
決った開始時刻に行くのが億劫だから。(...)
セカンドまでやりたいから。
バックベンドやりたいから。

とか、まあどれもこれも身勝手な理由です。
エゴを減じるためにも定期的にレッドをやるのは大事、と先生が仰るのも納得でございます。

で、久々にレッドを受けたら、ものすごーーーーーーーーーーーく気持ち良かった。
チャトワーリでまだチャトランガでホールドしてなきゃいけないのに一人アップドッグしてしまうこと数回。

それでも、すごーーーーーーーーーーーーーく気持ち良かった。

皆と一緒に呼吸を合わせて。。。って呼吸なんてなかなか合いやしないけどね、でもカウントを合わせて、ぶつからないように気を遣い合いながら、同じポーズを同じペースで合わせて進めていく。
自分一人じゃ入れないゾーンに入る感覚があって、改めて人と人とのエネルギー交換みたいなものの素晴らしさを感じる。

こうして一緒に練習する仲間がいることとか、こうして緑に囲まれて光を浴びながら練習ができることとか、この場所に私を迎えてくれる先生がいることとか、あつい吐息をかけてくる犬がいることとか、そういう全てに愛しさがこみ上げた。幸せだなあ。

最後のチャンティングもいいのよね。
にゃえーなまるげーなまひまひしゃは。
ユージ先生を思い出すよ。
クロージングマントラは世界の平和を祈るマントラだから、自然にいつも色んな人の顔が浮かんできてどうか皆と皆の周りのすべての人が幸せでいますようにという気持ちになります。

そして最後のロカサマスタスキノバヴァントゥは私の一番好きなフレーズ。

Lokah Samastah Sukhino Bhavantu

”May all beings everywhere be happy and free, and may the thoughts, words, and actions of my own life contribute in some way to that happiness and to that freedom for all.”

Om Shanti Shanti Shanti

2015年5月18日月曜日

祝婚歌

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

吉野弘