でもほらヨガも禅も真髄は同じだしさ。
余韻いまだ冷めやらず。
私にとって大きな変化をもたらす参禅の旅だったわけです。
変化。
まず、会社で自分のおやつを独り占めするのをやめた。笑
皆の分も買って一緒に食べる嬉しさは、私のおやつ予算を補って余りある価値があると気がついた。
効率化・最適化の為に、自分の業務と責任の範囲を明確に決めていたけど、それもやめた。
回らなくなったら皆で一緒に困って、一緒に対処を考えたらいいと思うようになった。
疲れて苛立って「それは私の仕事じゃない!」と言いたくなるときも、ぐっと飲み込んで茶話会での正法眼蔵随聞記の話を思い出す。
仏は求められれば自分の脚でも腕でも切って差し出すのだと。
もっともらしい「やらない理由」は我執によるものではないか、よくよく見極めるべしと。
身を切って差し出すことは出来なくても、自分に出来ること・差し出せるものは惜しむまいと決めた。
小さいけれど大きな変化。
腐りたくなるとき。
やってらんねーとなるとき。
へこたれたくなるとき。
「願わくばこの功徳をもって 遍く一切に及ぼし 我らと衆生と皆ともに 仏道を成ぜんことを…」
このマントラを思うと、色んなことを受け入れられる。頑張れる。
自分の行為が、それが些細な功徳であっても、きっと誰かのためになる。きっと誰かを救うことに繋がる。
そう信じることで自分自身がどれだけ救われるか分からない。
与えることと受けとることはやっぱり同じこと。
自他の区別をなくせばなくすほど、すべてが循環する。
おやつも仕事も、成功も失敗も、喜びも悲しみも痛みも、みんなで分かち合っていきたい。
今朝バックベンドで5秒くらい足首掴めたのも、きっと放擲の効果 v(^o^)v

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