2014年9月30日火曜日

頚椎症?

今更になって頚椎についてググってみた。

一ヶ月位前から発症中の手指先の痺れ、そして首の根元の肩凝り。頚椎症の初期症状と判断して良さそう。

痺れが出るのは決まって後屈時なので、腰のように思い込んでいた。が、後屈で頸部を後ろにしならせる動きは神経症状を誘発する言うまでもないNG動作であった。orz

後屈。とっても頑張ってきましたよ。
首、とってもそらせてきましたよ。
ウルドヴァ・ダヌラーサナのドリシュティは自分の足元を狙ってましたからね。来る日も来る日も。

腰は散々痛めたから常に庇ってきたけれど、首はノーガードでしたよ。

考えたら分かるじゃんねー。詰まって神経が圧迫されて痛める原理は腰と同じだと…

心当たりがあり過ぎて、自分の無頓着ぶりに呆れる。(T T)

首を全開に後ろにしならせる動作はむしろ意識的にやっていた。アップドッグでも、無駄にそらせまくってきた。

首を後屈させることで胸が余計に開く様な気分になっていたのもあるし、単純に顎を上げて上を見上げる姿勢が気持ち良くて好きなのだ。

ウバヤ・パダングシュターサナでは天井を見ながら星空や青空を妄想したり...

他に頚椎への負担で思い当たるのはセツバンダーサナ。好きになれない意味不明アーサナno.1。苦手なものこそ頑張って向き合おうと思って一生懸命深めてきた。最近は接地面が脳天よりも前面になるまで深めてた。

全然気持ち良くなくてむしろ不快なのに…

あほだ。

なんか…色々考え直す時期かもしれない... orz 

この無駄に自分に負荷をかけるMっ気というか苦行癖について。

とりあえず、今後は後屈時に必要以上に首をそらせないことにする。
禁忌動作は首の後屈なわけで、首をやたらに後屈させずともきちんと胸を開いて後屈することはできるハズ。

日常生活ではなるべく顎を引き気味の頸部を伸ばした姿勢を保とう。
ぐりぐり首を回して痛気持ちよがるのはやめよう。




金木犀の香る季節。明日から10月。
時が経つのは早いなあ。

2014年9月29日月曜日

谷根千さんぽ

秋晴れの日曜日。
谷中に住む朝練仲間の案内で谷根千散策へ。

朝練後、飯田橋から南北線で東大前に移動。
東大農学部キャンパスの横を通り抜け、坂を下りて根津神社へ。




抜けるような青い空に映える色鮮やかな社。



亀と清流。スプタを教えて、亀さん。



乙女稲荷の千本鳥居



青空と木漏れ日




ランチは「檸檬の実」さんへ。
古民家を改造した?素敵なお店でございました。



絶妙な味付けのご飯。



ベジリクエストにも応えてくれます。



まるごと野菜キッシュ!


団子坂の「エスプレッソファクトリー」でお茶して




 みかどパンのヒマラヤ杉をみて




穏やかでヨギックな雰囲気のアラン・ウェストさんのアトリエに立ち寄り




お洒落な雑貨屋を覗いたり、
だんごやベーグルを買い食いしたり、
のんびり散歩。

夕暮れ時に谷中銀座に到着。

谷中銀座では夜までビールを飲みながらのエンドレス・朝練ガールズトーク。


朝練仲間は、朝練以外に何ひとつシェアしていなくても話が尽きない。
バックグラウンドも業種も肩書も関係なくて、相手の素性を何も知らなかったとしても朝練の話だけで盛り上がれるから不思議。

素性を知らなくても、お互いの練習姿をみてればそれで十分。
色んなものを取っ払って、ただ人対人で付き合える感じがいいなあと思う。
大人になってからこういう仲間が出来るとは思わなかったよ。
まあ、尽きないのは主にバカ話ですけどね。

あー。楽しかった。

そして楽し過ぎて夜更かしの過ぎた私は、今朝は寝坊して朝練をさぼったのであった。
ぐー。



2014年9月26日金曜日

やっぱり頚椎なんじゃないか説

昨日書いた指先の痺れについて、「それは頚椎では?」とコメントを下さった方がいた。

ちなみに、ブログ始めて初めてコメントもらって感激。( 笑 )こんな読みにくいブログ読んでくださってどうもありがとうございます。m(_ _)m

で、頚椎。頚椎?!思いもよらなかったよ。だって首痛いと思ったことないもの。でも、確かに毎回頭打ってますラグバジュラーサナ。でも、ごちんえへへ程度だから頚椎を痛める可能性など考えもしなかったorz 

腰も恐ろしいけど頚椎も痛めたら練習どころじゃなさそう。気を付けないと…でも、ラグバジュラーサナで頭打たないようにどう気を付けたらいいのか…ブランケットで数センチのクッションを作ればいいのかしら。

ヨガで身体痛めるようなことだけは避けたいなあ。
けど、避けては通れない痛みもあるよね。(心身共に…)うーん。



どうでもいいけど、頚椎に負担かける動作を繰り返しすることで更に首が太くなったらやだなー。


Anyways...

Happy Friday and have a wonderful weekend!





2014年9月25日木曜日

やっぱり胸開いていないんじゃないか説

2日ぶりの朝練。

なんだか最近、2日空くだけでものすごく久しぶりに感じる。

今年に入って更に変化が加速してるのは私だけ?


ちょいと気になることがある。
2週間位前から、ドロップバックからカムアップすると指先が微かに痺れる。三回のウルドヴァ・ダヌラーサナから立つ時と、最後のアジャスト付きの時は感じないから、ドロップバックが原因と思われる。

腰は全然痛くならないから良しとしてたけど、気になってきた。

ラグバジュラーサナの練習始めてから、ドロップバック&カムアップのとき脚への意識を強く強くしているけど、最近それが意図的になりすぎて胸が閉じ気味なのかも。

腰が痛くならないのは、以前に比べたら色んなモノを(バンダとか背筋とか腹筋とか)駆使して腰を守れるようになっているからだとして。

けれど実際は深部でかなり腰に負荷がかかってるとして。

それが微かな痺れの原因だとしたら…

恐ろしい。

考えてみると、ラグバジュラーサナに進んだばかりの時にバックベンドでしばらく連続で掴めてた足首が、少し前から掴めなくなった。

指先の痺れの開始はほぼ同時期なので、やっぱり胸が閉じ気味で腰に負荷をかけてる説が有力な気がする。

あー。

考えない。
意図を捨てる。
自分を明け渡す。


あんなに悟ったような気でいたのにい。


忘れては思い出し
思い出しては忘れて

何度も何度も、繰り返し。

あれだね、やっぱりfrom scratch.
毎回ゼロから始めるつもりでないと。

2014年9月24日水曜日

豊かさ

父方の祖父は、若くして亡くなっている。
三男坊である私の父が生後6ヶ月のときだ。
祖母は幼稚園の先生をしながら女手一つで3人兄弟を育て上げた。絵に書いたような貧乏だったらしい。

しかも戦後の日本、沖縄。
祖母は数え切れないほどの親戚や友人を戦争でも亡くしている。

私の想像を絶する苦労をしてきた筈なのに、いや、だからこそか、祖母はいつもにこにこしていて愛と感謝のことばしか口にしない。

「素晴らしい男性と結婚したら、
素晴らしい息子達に恵まれて、
素晴らしい男性に育った息子達が、
素晴らしく優しいお嫁さん達を連れてきて、
その素晴らしいお嫁さん達のおかげで、
今度は素晴らしい孫達に恵まれた。
自分の人生は、ひとに恵まれた、ありがたい素晴らしい人生だった」

あっちも豊かでこっちも豊かでもう豊かさに包まれていっぱいな、まるでプルナマダプルナミダの世界観である。*

これは、彼女の周りの人全てが際立って素晴らしい人だった、ということではない。
例えば、彼女をして「素晴らしい孫」と称される私の自己評価は低い。

人を見るときにどういう目線を採用するかの問題であって、彼女の目にかかれば何もかも誰も彼も「素晴らしい」のだ。

他者に投影した自分自身の光を見ているのではないかな。
いずれにせよ、限りなく神仏に近い目線だと思う。

家族や親戚や友人を戦争で亡くし、最愛の夫に若くして先立たれ、貧乏で働きづめで、人生を呪ってもおかしくない境遇なのに。

彼女の枕元には、半世紀以上前に死別した若き日の祖父の写真が飾られている。

祖父との愛が、ずっと祖母を支えてきたのだと思う。つくづく、愛ほど強いものはない、と思い知らされる。
お金にも戦争にも、病や老いや死にも、半世紀以上の時間にも、それは決して揺るがされることはない。

うちの父は祖父の記憶はないはずなのに、知った人のように私に祖父の話をする。祖母が話して聞かせてきたからだ。私が産まれるはるか昔に亡くなった人なのに、私も祖父に守られてきたように感じる。

こうして、ひとは愛する人の心に生き続ける。




90になる祖母は、いまは家族に大切にされて穏やかに暮らしている。

父は帰省すると連日、叔父とテニスをしに出掛けるのだけど、出掛けていく父と叔父を笑顔で送り出したあと、祖母が私に言った。

「昔は子供達を置いて仕事に行かなければいけなくて、いってらっしゃいと送り出したり、おかえりなさいと迎えてやることが出来なかった。今になって、それが出来ることが嬉しくて、本当に幸せ」

家族と過ごす当たり前の時間。

どんな王族よりも贅沢をさせてもらっていると、感じるのだそうだ。

豊かだなあ。



*1 プルナマダのマントラ

Om 
Purnamadah Purnamidam
Purnat Purnamudachyate
Purnasya Purnamadaya
Purnameva Vashishyate
Om shanti, shanti, shanti

Om. 
That is full; this is full.
This fullness has been projected from that fullness.
When this fullness merges in that fullness or this fullness is taken away from that fullness,
all that remains is fullness.
Om. Peace! Peace! Peace!

超訳:
あれもいっぱいでこれもいっぱい。
このいっぱいはあのいっぱいから始まり、あっちのいっぱいとこっちのいっぱいがくっつくとまたいっぱいになって、このいっぱいからあのいっぱいを取ってもそこに在るのはやっぱりいっぱいだけ。

あっちもこっちもいっぱいで無限で豊かで完璧。ありがたいありがたい。

※Fullとかinfinite, perfectionとか色んな訳語があるみたいだけど、私はfull:いっぱいと訳してお腹いっぱい感を出したい。

祖母は、身体は自由に動かないけれど究極にヨギックなひとだ。

2014年9月23日火曜日

お彼岸@下関

お彼岸ですね。
下関の祖母宅に帰省中。



今日は風師山でプチ登山。
車で関門橋を渡り福岡県入り。

木立の中を歩いて



季節外れの紫陽花発見。


こやつも額紫陽花とみた。かわゆす


てくてく登頂まで登ると


眼下に関門海峡と門司港。右端の島が巌流島。後ろには四国。360°ビュー!

蛇の抜け殻発見。2m以上あった。



山頂では暑くてタンクトップ姿になってた。
知らないおじさんに「…ル?...ルやってるんですか?身体の均整が…」と話しかけられた。
キャッまさか私モデルに見える?///
耳を疑いつつ聞き返した。

すると。

「ボディビル」だって!!
信じられないよ。
本当にさあ、いくらなんでもさあ。
そんなにムキムキなの?私 orz 


複雑な気持ちで山を降りて、船で関門海峡を渡り本州に戻る。
唐戸市場から船で巌流島へ。


ご存知、佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘の地。
正直特に何もない。


バカボンド再読したくなった…ってwikiみたらあれまだ完結してないんかいな。吉川英治の本を読もうかな。


ふぐが待つ唐戸市場へ戻り


市場のなかへ。
その場で買い食いできる系が充実。


ランチ後なのに誘惑に負けて買い食い。


これで400円。


帰路の散歩道では白い彼岸花発見。


彼岸花が好き。
可憐なくせに情熱的で、一途で芯の強い女の風情。

曼珠沙華という名も何とも女らしいではありませんか。

ボディビルとか言われないで、こういう細身で華奢なくせに芯は強いみたいな女性になりたいorz

朝練生活を続けながらそうなるにはどうしたらいいの?
教えて華奢なアシュタンギ…>_<…
バンダと食事かなあやっぱり。  

あー。しかしボディビルはショックだ。


















2014年9月20日土曜日

眠れぬ夜に

かぼちゃの妄想の有効性とその代案について書きながら、別の妄想系俗説「眠れないときに羊を数える」を思い出した。

もともと夜行性で朝が弱かった私は、過去に何千頭の羊を数えたか分からない。



でも、その有効性が疑わしい上に他に愉快な要素があるわけでもないのでやめた。

で、これもいつからかより効果的な方法を自然に身につけた。
(朝練始めてからは、眠れない夜は滅多にないのでほぼ不要になったけど…)

それは。

羊の代わりに好きな人を数える!

親密な人に限定すると下手すると1分もたないので(笑)「好きな人」の選択基準を以下の通り設定する。

inclusion criteria:
⚫︎過去に接触した人
⚫︎好ましさを感じたことがある人
⚪︎氏名又は容貌を覚えてなくても可
⚪︎親密度や好きの度合いは一切不問

ここまで拡げると、過去に出会った人殆どが該当する。

苦手な人も大して興味のない人も、
向き合えぬまますれ違った人も、
悔恨を残して別れた人も。

ウザいけど純粋な人だった、とか
冷たいけどあの時は優しくしてくれた、とか
傲慢だけどいたいけな人だったな、とか
よく知らないけど、笑顔が素敵だった、とか

別に無理に好きになったり繋がりを持つ必要はなくて、少しでも「好ましいな」と思った瞬間に思いを馳せたらそれで充分。そして、元気で幸せで居てくれることをそっと願う。

人間みんな美点も汚点もあるわけで。
悪い部分じゃなくて良い部分に焦点を当てる癖がつくと色々楽になる。

何より、誰かを好きだと思うとじわじわと温かいものが内側から滲み出て幸せな気持ちになる。

眠気を誘引するわけではないけど、どうせ眠れぬ夜ならば静かに幸せを感じて過ごしたい。

あ、あの人もいた、この人もいた!と思い出しながら数え挙げるのも楽しいし。

私と知り合いの皆さんは、こうして私に思われた夜が一度はあると思います。

気持ち悪がらないでください。m(_ _)m






2014年9月19日金曜日

サポーターだらけ

行く先々で出会う人々について、どう認識するかで世界は様変わりする。

よく、プレゼンとか人前で話すのに緊張しないコツとして「聴衆を人ではなくてかぼちゃだと思えばいい」とか言うよね。

でも、人をかぼちゃに脳内変換するには結構な想像力が必要(笑)だし、あまり実用的じゃない。かぼちゃはタフな質問とかしてこないしさ。

より実用的で効果的な方法を自然にいつからか身に付けた。

それは。

出会う人々はみんな自分の味方でサポーターで、私を助ける為に待ち受けてるのだと思うこと。

厳しい課題を突き付けてくる人や、意地悪な対応をしてくる人もいるかもしれない。

でも、それも全て私の成長に必要なことで彼らはあえてそういう役回りを演じて機会を作ってくれてるのかもしれない。

基本的には出会う人は皆、何らかの形で私を助ける為に、手ぐすねをひいてあちこちで待ち構えてる。

そう思っていれば色んなことが怖くなくなる。怖いときでも、前に踏み出して向き合う勇気が出るようになる。


そうしてあれこれやっているうちに、気がついたらいつしか「厳しい荒療治系サポーター」よりも「優しくて協力的な正統派サポーター」との出会いの方が圧倒的に多くなってきた。



人生はものすごく、限りなく優しい。
ただ自分がそう思えば。







2014年9月18日木曜日

ゼロから始める

何かについて、
決して知った気にならないこと。
全て分かった気にならないこと。

自分は知らないのだ、という前提に立ち続けること。

常に、ゼロから始めるつもりで取り組むこと。

From scratch.



フリーランスのメディカルライターの方とお話しをする機会があった。大変にプロフェッショナルな方で、その姿勢にいたく感銘を受けた。

メディカルライターといってもそのスキルや対応範囲は様々。彼は英語医学論文作成など非常に高度な専門知識とスキルを要する業務に対応している。

翻訳や通訳もそうだけど、的確なアウトプットの為にはその領域に関するかなり広範な知識のインプットが必要となる。

語学や文才などアウトプットのスキルもさることながら、該当分野について歴史に文化に常識に課題に豆知識に何から何までお勉強しなければならない。

高度な専門知識を持つ専門家でありながら、幅広い教養とバランス感覚を持っていないといけない。いやはや大変なお仕事。

過去の経験と知識に甘んじて「自分は分かっている」と錯覚した瞬間、足元をすくわれる。

瞬間瞬間、常に学び続ける姿勢の元にあるのは「ゼロから始める」謙虚さだ。

これって高度な専門職に限らず全ての物事において言えることだよね。


見習おう。

2014年9月17日水曜日

下半身について

ブラフマチャリア、性欲の抑制について。

ではなくて

ラグバジュラーサナの練習を始めてから、足が筋肉痛になるようになってきた。

特に大腿四頭筋から腸腰筋。
ドロップバック&カムアップで散々意識してきたつもりだけど、ラグバジュラーサナ練習開始以来の変化が著しいので、まだまだ使えていなかった模様。

日々アーサナの練習をしていると、体と心の緊密なリンクを感じることになる。

これまでに強烈に感じさせられた部位ナンバーワンはやっぱり「胸を開く」後屈。

胸を開くのはすっごい怖かったけど、それは胸に怖れを溜め込むからだと思う。
身体というのは、心が忘れた/自覚してこなかった感情を溜め込んでいる。

日々の練習による体の変化が感情の浄化を促すのか、それとも日々の練習により湧き上がった感情の浄化に伴い体が変化するのか。

恐らくは両方が相互に働いているのだと思うけど、とにかくバックベンドの練習を始めてからのこの一年は心身ともに「胸を開く」大きな変容プロセスだったし、依然進行中。

で、最近の下半身事情。
単なる筋肉痛かもしれないけど、新たな変容の始まりを感じる。

特に腸腰筋はじめ股関節周り。

この辺は胸と同様に根深いエネルギーが渦巻いている部位な気がする。



グレゴリー・メーレの「アシュタンガヨーガ実践と探求」には、この腸腰筋は魂の座seat of soulと考えられている、と書いてある。

私達の中核に鎮座している魂はブレることがない。揺れ動く心をいかにして魂の真上に保つのか、腸腰筋や骨盤はそういうことに関係しているのではないかしら。

さて私の骨盤周りには何が溜め込まれているのかな。未知の領域開拓が楽しみ!

ちなみにフルプライマリーの前屈シリーズで散々働きかけるハムストリングスも、人によっては深いエネルギーが蓄積されている部位の気がする。私はここは比較的軽かったけど、こだわりとか怒りとかじゃないかな?根拠はないけど何となくね。

今朝は睡眠時間確保優先につき、朝練はお休み。

2014年9月16日火曜日

All is well


同僚からDVDを借りて、素敵な映画を見た。
インド映画「きっと、うまくいく」(原題:3 idiots)
笑って泣けてぐっとくるとっても後味の良い映画。

主題は、「ありのままの自分を生きる勇気」と「本当の賢さ、知」かな。

インド屈指の工科大学を舞台に、寮で同部屋の3人の青春ドラマと、その10年後がミステリー風に同時並行で展開する。この大学はインド国内の優秀な頭脳が集まり、世界に人材を輩出する一流校。インド工科大学がモデルかしら。

二人の主人公はそれぞれに田舎の家族の期待を一身に背負っていて、将来に対する不安を抱えている。そしてこの二人の親友となる、素性の謎めいた型破りな天才青年。

彼は詰め込み型の勉強、成功の為の教育を強く批判していて、「勉強は楽しんでするもの、成功は後からついてくるもので追うものではない」主義の持ち主。
彼に触発されて、二人の主人公はそれぞれの怖れに向き合い「本当の自分を、今を生きる」勇気を学んでいく。

この青年と大学教授陣のやり合いを通して、インドの競争社会と点数主義の教育制度を強烈に風刺。競争社会の重圧による自殺率の高さも取り上げている。

ちなみに、インド人の同僚が来日したときに、電車への飛び込み自殺についての話になったことがある。私は何となく飛び込み自殺って東京ならではのものかと思っていたのだけど、インドの都市部でも多いらしい。その手法はさておき、インドの自殺率が高い、ということ自体に私は驚いた。

だって私が仕事で関わるインド人の殆どはとても楽観的で適当で信仰が厚く、(日本人に比べると)良くも悪くも他力で他責。自殺とは程遠いイメージなんだもの。

実際は、高学歴なエリート街道にのった人の自殺率が高いのだそう。
この映画によると、過度な期待と重圧で潰れて自殺する学生の数が病気で死ぬ人より多いらしい。


日本も他人事ではないよね。これだけ物質的に豊かでありながら、全体の幸福度が低い日本人。日本の場合は既に競争社会、値札や肩書が絶対視されるような時代は過ぎた気がするけど、逆に経済成長という分かりやすい指針がなくなったからこそ、行き場を失った閉塞感があるのではないかしら。

「精神性が大切=科学技術の発展は悪」というのも違う。結局それも二元論的な偏見だと思う。似たようなのだと西洋医学の否定とか。(ヨガびとに多い気がする)

科学技術そのものやその発展が悪なのではない。欲に捕われて「知の探究」「ひとと全ての幸せのために」etc.本来の純粋な動機を見失った人々と、その行いがある。ただそれだけ。
純粋な動機に基づいた発展はとっても自然で素敵なものだし、心の豊かさとちゃんと両立するのだ。

この映画の最後に登場する「美しいラダックに住む天才科学者」なんて、素敵なモチーフ!

そういうイロイロを、痛快に爽快にハートウォーミングに描いたあっという間の3時間。

とっても!おすすめな映画です。


2014年9月14日日曜日

Never ending honeymoon

ムーンデーにマイムーンにフルプライマリーデー、お休みと続き今朝は5日ぶりにフルプライマリー+ラグバジュラーサナまでのフル練習。

気持ち良かったー。
つくづく感じた、毎日練習できるって幸せだ。
2時間ひたすら呼吸を感じて体を感じる、これってとても贅沢な時間だよね。まるで自分との蜜月。

あーだこーだと難しくしてるけど、人生全般も多分おなじ。

自分という人物をひたすら感じて、どこまでも向き合い、付き合う濃厚な関係。
ただ自分をありのまま受け入れて全てをシンプルに味わえたなら、それはもうnever ending honeymoon with myself♥︎ になるわけです。

でも、ああでありたいとかこうでありたいとか、自分に対して期待をかけ過ぎると蜜月は一転、不和と苦しみのドラマへと暗転する。

あーだこーだから自由になって、
心や思考のしょうもない反応にも気を留めず、
どんなあれこれもアホだけど愛しい人のことのように受け入れて、
呼吸や体を感じるだけで満ち足りていたいものです。

アホだけど愛しい犬。


どんなにアホでも、ふざけてても、ヤマ・ニヤマの実践が至らなくても、欲に支配されがちでも、私達は愛されていいのだと教えてくれる。
その為にアホの振りをしてるようにすら思えるくらい、たまに賢者のようなお顔をされる時もある(多分気のせい)


今朝のあーだこーだ。
やっぱり丸っきり歯が立たないラグバジュラーサナ。
今日はアジャストもされなかったけど、まずは足に力を入れられるようにならないとアジャストされても無意味な気がするから放置されて正解かもしれない。

2014年9月13日土曜日

ヨガフェス

初めてヨガフェスに行って来た。

硬派なアシュタンギぶってるので全然興味なかったけど、ヨガ仲間とルンルンお出かけ気分で行って来た。

楽しかったー(^ν^)


海の真ん前、空の下、芝生の上でごろごろ。ヨガニードラ、もといただのごろごろ。気持ち良かった。








2014年9月12日金曜日

時間について

マイムーン明け3日ぶりの朝練。

いつも練習中に時計を見るのは2回。
トリコナアーサナに入る時と、スプタ・パーダングシュターサナで横を向いたとき。(時計が視界に入る)

今朝はスプタパーダングシュターサナで時計を見てギョッとした。

ゲー!いつもより15分遅い!!!

3日ぶりでフルプライマリーデーだったので、確かにゆっくり味わいながらやっていた。でも味わいモードの時でも、差はせいぜい5分か10分なのに… 

今朝はそんなに長くやってる自覚が全然なかっただけに驚いた。

ゆったり味わうフルプライマリーデーなのに結局最後慌てる羽目になってしまった。

でも、時間の感覚のズレに驚いたよ。不思議だなあ。経過時間は同じ筈なのに、一瞬に感じたり永遠に感じたり。

時間て、やっぱりあってないようなものな気がする。


シダ類は太古の昔から時を超えてずっとある感じが好き。

これから色んなことが始まるかもしれないような、可能性に満ちた感じ。ずっとずっと昔からあったような、叡智に満ちた感じ。

そういうシダっぽい人っているよね。






2014年9月11日木曜日

灯火

仏教で自灯明・法灯明ということばがある。


死を間近にした仏陀が、「師であるあなたが亡くなった後は、何を寄る辺にするべきか」と嘆き教えを請う弟子アーナンダに説いたことばと言われている。


自らを灯明とし、自らを拠り処とし、他人を拠り処としないように。
法(真理)を灯明とし、法を依り処とし、他を依り処としないように。 

そのために、身体について、感覚について、心について、様々な物事について、熱心かつ注意深く観察し、明確に理解し、欲と憂いから離れて生きなさい。


観念や思い込み、感情や欲から離れて澄んだ目でありのままをみること。自分の奥に宿る仏性を見出し、それを指針に生きること。


私が深くアシュタンガヨガに傾倒したのは、これと同じ考え方に惹かれたところが大きい。

自分を導くのは、グルジでもなく経典でもなく先生でもなく、他でもない自分自身の練習、実践であるということ。

体や心や感覚が、どんなに揺らいでも愚図っても弱っても、自分の奥底には、道を照らし自分を導く、決して消えない灯火がある。

これって厳しくも清々しく、とても勇気づけられる。

Practice and all is coming.

ただ実践し続けなさい、必要なすべてはあちらからやってくる。


お釈迦様 @エローラ石窟寺院
聖堂チック。

ちなみに、原典からの誤訳で実は「灯明」ではなく「島」なのだとか。
確かに揺るがぬ島、の方がしっくりくる気もするけど「灯明」は詩的よね。

2014年9月10日水曜日

皇居 二の丸庭園

ムーンデーと共にマイムーンがやってきた。
なので今朝は練習はお休み。

そして特に書きたいこともないから

初夏の皇居二の丸庭園の写真を貼るよ。


木もれ日と小径


お花


わさわさの緑


わさわさの緑と母


シダ類が好き  


水に緑が映って綺麗



おわり。