2014年9月9日火曜日

色々超越したひと


トランスジェンダーを知っている。
幼少期に日々を共有した友。

最初にその転換について聞いたときは衝撃的だった。
彼女が経験してきた痛み苦しみはいかほどであったか、想像を絶する。

そんな彼女と、成人してからはじめて二人で食事にいった。

二人そうして向き合ったのはいつぶりだろう。
10年以上の時を越え、お互い三十路も半ば近い。

この10年以上の間に色々な経験をしてきたし、日々思うのだけど過去の自分といまの自分はまるで別人だ。
もちろん私だけではなくて、彼女も、誰しもがそうだと思う。

彼女に至っては性別が変わっている。

それでも、積もる話を語らいながら、ただただ心通い合うのを感じた。

彼女の経験、変化、成長。

何を学んできたのか、
何を抱えてきたのか、
何を成してきたのか、
何を得て何を手放してきたのか。

そういう色々なことがどうでもいいことのように思えた。

どうでもいいというのは否定的な意味ではなくて、
彼女という人の本質的な価値は決して損なわれることがないということ。
ひとの価値は、あらゆる社会的役割や経験、肉体的なアイデンティティを超越している。


小さいとき、一緒に探検に出掛けた友。
一緒にキュウリを持って沼に河童を探しに行ったり
空き地で針金でダウジングをしたり(笑)色々なことをして遊んだ。

人生の旅がこんなに深くてやるせないことだらけだなんて、
お互い思いもよらなかったよね。


私にとってあなたは男でも女でもどちらでもいいよ。
あなたはただあなたのままで、かけがえのない価値がある。



彼女は心理学の専門家でもある。
臨床の現場で色々なひとの心に向き合い、いのちを見つめてきた経験をシェアしてくれた。

生のなかに死をみる。
死にゆくひとのなかに生をみる。
目の前の誰かのなかに、かつて失ったひとを、自分自身をみる。

幼い時から論理的で鋭い知性を持っていた彼女は、臨床現場で色々な経験をするまでスピリチュアルなものには懐疑的だったそうだ。

いまは自分の体験から「いのちは一つで、深いところで全ては繋がっている」と断言せざるを得ない、という話をしてくれた。

そう語る言葉はやはり理路整然としていて美しくて。

ああ、この人はその魂の高潔さ故にこの人生、痛みを伴いながら「色々超越する」人生を選んだのだろうなと、思わずにいられなかった。




May you receive everything you deserve.

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