仏教で自灯明・法灯明ということばがある。
死を間近にした仏陀が、「師であるあなたが亡くなった後は、何を寄る辺にするべきか」と嘆き教えを請う弟子アーナンダに説いたことばと言われている。
自らを灯明とし、自らを拠り処とし、他人を拠り処としないように。
法(真理)を灯明とし、法を依り処とし、他を依り処としないように。
そのために、身体について、感覚について、心について、様々な物事について、熱心かつ注意深く観察し、明確に理解し、欲と憂いから離れて生きなさい。
観念や思い込み、感情や欲から離れて澄んだ目でありのままをみること。自分の奥に宿る仏性を見出し、それを指針に生きること。
私が深くアシュタンガヨガに傾倒したのは、これと同じ考え方に惹かれたところが大きい。
自分を導くのは、グルジでもなく経典でもなく先生でもなく、他でもない自分自身の練習、実践であるということ。
体や心や感覚が、どんなに揺らいでも愚図っても弱っても、自分の奥底には、道を照らし自分を導く、決して消えない灯火がある。
これって厳しくも清々しく、とても勇気づけられる。

0 件のコメント:
コメントを投稿