2014年9月24日水曜日

豊かさ

父方の祖父は、若くして亡くなっている。
三男坊である私の父が生後6ヶ月のときだ。
祖母は幼稚園の先生をしながら女手一つで3人兄弟を育て上げた。絵に書いたような貧乏だったらしい。

しかも戦後の日本、沖縄。
祖母は数え切れないほどの親戚や友人を戦争でも亡くしている。

私の想像を絶する苦労をしてきた筈なのに、いや、だからこそか、祖母はいつもにこにこしていて愛と感謝のことばしか口にしない。

「素晴らしい男性と結婚したら、
素晴らしい息子達に恵まれて、
素晴らしい男性に育った息子達が、
素晴らしく優しいお嫁さん達を連れてきて、
その素晴らしいお嫁さん達のおかげで、
今度は素晴らしい孫達に恵まれた。
自分の人生は、ひとに恵まれた、ありがたい素晴らしい人生だった」

あっちも豊かでこっちも豊かでもう豊かさに包まれていっぱいな、まるでプルナマダプルナミダの世界観である。*

これは、彼女の周りの人全てが際立って素晴らしい人だった、ということではない。
例えば、彼女をして「素晴らしい孫」と称される私の自己評価は低い。

人を見るときにどういう目線を採用するかの問題であって、彼女の目にかかれば何もかも誰も彼も「素晴らしい」のだ。

他者に投影した自分自身の光を見ているのではないかな。
いずれにせよ、限りなく神仏に近い目線だと思う。

家族や親戚や友人を戦争で亡くし、最愛の夫に若くして先立たれ、貧乏で働きづめで、人生を呪ってもおかしくない境遇なのに。

彼女の枕元には、半世紀以上前に死別した若き日の祖父の写真が飾られている。

祖父との愛が、ずっと祖母を支えてきたのだと思う。つくづく、愛ほど強いものはない、と思い知らされる。
お金にも戦争にも、病や老いや死にも、半世紀以上の時間にも、それは決して揺るがされることはない。

うちの父は祖父の記憶はないはずなのに、知った人のように私に祖父の話をする。祖母が話して聞かせてきたからだ。私が産まれるはるか昔に亡くなった人なのに、私も祖父に守られてきたように感じる。

こうして、ひとは愛する人の心に生き続ける。




90になる祖母は、いまは家族に大切にされて穏やかに暮らしている。

父は帰省すると連日、叔父とテニスをしに出掛けるのだけど、出掛けていく父と叔父を笑顔で送り出したあと、祖母が私に言った。

「昔は子供達を置いて仕事に行かなければいけなくて、いってらっしゃいと送り出したり、おかえりなさいと迎えてやることが出来なかった。今になって、それが出来ることが嬉しくて、本当に幸せ」

家族と過ごす当たり前の時間。

どんな王族よりも贅沢をさせてもらっていると、感じるのだそうだ。

豊かだなあ。



*1 プルナマダのマントラ

Om 
Purnamadah Purnamidam
Purnat Purnamudachyate
Purnasya Purnamadaya
Purnameva Vashishyate
Om shanti, shanti, shanti

Om. 
That is full; this is full.
This fullness has been projected from that fullness.
When this fullness merges in that fullness or this fullness is taken away from that fullness,
all that remains is fullness.
Om. Peace! Peace! Peace!

超訳:
あれもいっぱいでこれもいっぱい。
このいっぱいはあのいっぱいから始まり、あっちのいっぱいとこっちのいっぱいがくっつくとまたいっぱいになって、このいっぱいからあのいっぱいを取ってもそこに在るのはやっぱりいっぱいだけ。

あっちもこっちもいっぱいで無限で豊かで完璧。ありがたいありがたい。

※Fullとかinfinite, perfectionとか色んな訳語があるみたいだけど、私はfull:いっぱいと訳してお腹いっぱい感を出したい。

祖母は、身体は自由に動かないけれど究極にヨギックなひとだ。

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