2014年9月1日月曜日

献身について、太宰治「パンドラの匣」

早いもので今日から9月。
朝練20か月目。

ポーズはウシュトラーサナに進んだ。
セカンド後屈シリーズもいよいよ佳境か?
今朝は寝坊していつもの電車に乗り遅れ、10分遅いスタート。
でもそんなに巻かずに、いつもの時間まででしっかり練習できた。
不思議。時間というのはまやかしな気がするよ。

 

今日のことば。
太宰治「パンドラの匣」から

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献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。

大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。

人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。しかし献身には、何の身支度も要らない。

今日ただいま、このままの姿で、いっさいを捧げたてまつるべきである。鍬とる者は、鍬とった野良姿のままで、献身すべきだ。

自分の姿を、いつわってはいけない。献身には猶予がゆるされない。人間の時々刻々が、献身でなければならぬ。

いかにして見事に献身すべきやなどと、工夫をこらすのは、最も無意味な事である、と力強く、諄々と説いている。

聞きながら僕は、何度も赤面した。僕は今まで、自分を新しい男だ新しい男だと、少し宣伝しすぎたようだ。

献身の身支度に凝り過ぎた。お化粧にこだわっていたところが、あったように思われる。

新しい男の看板は、この辺で、いさぎよく撤回しよう。僕の周囲は、もう、僕と同じくらいに明るくなっている。

全くこれまで、僕たちの現れるところ、つねに、ひとりでに明るく華やかになって行ったじゃないか。

あとはもう何も言わず、早くもなく、おそくもなく、極めてあたりまえの歩調でまっすぐに歩いて行こう。

この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。

「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」
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Have a nice week.

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