2014年9月5日金曜日

our deepest fear is

昨日びっくりすることがあった。
それは喜ぶべきグッドニュースだったのだけど、あまりにもびっくりし過ぎて、
動揺して腹立たしいような有難くて泣きたいような、わけの分からない気持ちになった。
そのニュースをもたらした仕事仲間のインド人に一体全体なんなのよ!と当たってしまった。笑

まさかそんな虫の良い話なんてあり得ない、と思うようなことが起きることがある。
現実的に不可能だと思われたことが土壇場でひっくり返ったりする。

例えば仕事で誰かを探していて、
あるいは何か解決策を探していて、
その課題を解決するための要件を全て揃えて満たすのはあまりに困難にみえるとき。

諦めて無難な代替案を検討した方がいい、現実的に考えるべき、と私なんかはよく考えてしまうのだけど、私の勤め先の人達はまるで引き寄せの法則がビジネスの原理であるかのように理想を描く。
そして不断の行動力を持ってその多くを実現してしまうのだ。
因みに、本社がインドの会社だからかビジネスドリブンなくせに存在そのものがスピリチュアルでヨギックな人が多い。

ときに苛立たしくうんざりするほどの理想主義。
インド人の適当さ大らかさとも相まって鼻血が出そうなほど頭にきたことも数知れない。
でもそれは色々なことを教えてくれた。

足るを知ることと妥協は違う。

私は「あるがままを受け入れる」「足るを知る」とかうそぶきながら、自ら制限をかけて無難な選択に逃げてきたことが多いかもしれない。

それは本当に調和した美しい解ではないので、無理が生じる。
無理があると結局どこかでそのしわ寄せがきて、苦しみが生じる。自分にも、周りにも。

理想を貫くのは勇気がいるし、利己的にもみえる。
でもそれは自分だけではなく全体を利するために大切なことなのかもしれない。



Our deepest fear is not that we are inadequate.

Our deepest fear is that we are powerful beyond measure.

It is our light, not our darkness, that most frightens us.

We ask ourselves, 'Who am I to be brilliant, gorgeous, talented and fabulous?'

Actually, who are you not to be? You are a child of God.

Your playing small does not serve the world.

There is nothing enlightened about shrinking so that other people won't feel insecure around you.

We are all meant to shine, as children do.

We were born to make manifest the glory of God that is within us.

It’s not just in some of us; it’s in everyone.

And as we let our own light shine, we unconsciously give other people permission to do the same.

As we are liberated from our own fear, our presence automatically liberates others.



  Marianne Williamson
※超訳

私達が最も怖れているのは、自分が無力であるということではありません。
私達が最も怖れているのは、自分が計り知れない力を持つ存在であるということです。
私達を最も怯えさせるのは、自分の闇ではなく光なのです。

私達は自問します。「優秀で美しくて才能に溢れた素晴らしい存在だなんて誰のこと?(私?有り得ない!)」
しかし、そうではないあなたこそ一体誰なのでしょう?真実のあなたですか?


あなたがあえて無難な生き方を選ぶことは、この世界の何の役にも立たないのです。
他人や周囲を気にして自分を制限することには何の意味もありません。

私達はみな本来輝いているべき存在なのです。子供たちがそうであるように。
自分達の内側に宿る神性の光を体現する為に、私達は生まれてきたのです。
この光は、一部の人にのみ宿るものではなく全ての人が持つものです。

自らを輝かせるとき、私達は無意識のうちに他の人々にもありのまま輝く許可を与えています。

自らを怖れから解き放ち自由であるとき、私達のその存在は自然に他の人々をも自由にすることができるのです。



0 件のコメント:

コメントを投稿